朝鮮人軍属の証言とは? わかりやすく解説

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朝鮮人軍属の証言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/09 21:14 UTC 版)

チルボン島事件」の記事における「朝鮮人軍属の証言」の解説

以下は全て韓国側証言である。また手記自体公開されておらず、今後検証待たれる元朝鮮人軍属一人1985年残した手記内容によれば直接的な原因日本人軍属朝鮮軍属に「の肉」と評する物を気前よく渡したことがきっかけである。朝鮮人軍属はこれを不審思った空腹からその肉を食べた。それから数日後、年の初めに行方が分からなくなっていた仲間朝鮮人軍属1人付近無人島死んでいるのを発見する遺体太股には不自然に切られ箇所があり、彼らは「あの肉は仲間のものに違いない」と確信した。それから数日後また、朝鮮軍一人失踪し同様の遺体となって発見される恐怖した朝鮮軍属達は島からの逃亡考え日本人から信用置かれていた朝鮮人軍属リーダーとし、島民とも共謀して日本軍対す反乱計画した。島の周囲米軍艦艇航行していたので、日本軍属を殺害して米軍投降しようと考えたのである1945年3月18日反乱実行され銃撃戦の末に7人の日本軍属を殺害して島からの脱出試みるも、一人朝鮮軍属がこのことを隣のルクノール島日本軍部隊密告し同日午後3時ごろ、50名から60名ほどの討伐隊により機関銃を使うなどして鎮圧された。最終的に14人ほどの朝鮮人軍属除いて反乱側がほぼ全て殺害されるという結果終わった朝鮮人軍属60名と反乱参加した島民40名が殺害されとされる反乱主導した5、6名は、多く仲間死んだ罪悪感から互いに抱き合ってダイナマイト自害した投降した朝鮮人17名もルクノール島連行され、そこで銃殺された、というような内容手記には書かれていたという。 2000年死去した別の元朝鮮人軍属証言では、当時、島にいた日本人軍属20名、朝鮮人軍属125名がおり、1945年2月23日27日に、隣接する無人島食糧探し行った朝鮮人軍属一名日本人軍属2名に殺害され、この2名は、被害者の肉を食したうえ、残った肉をチルボン島に持ち帰り鯨肉」と称して同僚日本人に食させたとしている。 翌28日、2名が帰ってこないのを気遣った朝鮮人軍属数名前記無人島行き食人事実知ったとしており、自分たちはその「鯨肉」と評するものを食べておらず、反乱起こった日は3月18日では無く3月1日であったとしている。 また、隣のルクノール島から日本軍部隊がやって来たのは、朝鮮軍属の密告よるものでは無くチルボン島での日本軍属と朝鮮軍属との銃撃戦から逃れた日本人知らせたものだとし、殺害され朝鮮軍属の人数100名としている。 潜伏して生き残った14人の朝鮮軍属は事件後、付近航行する米軍艦船助け求めて投降し、難を逃れたされる。 以上が事件概要だが、上記のように証言者の記憶よるものか、事件の内容細部異なっている。

※この「朝鮮人軍属の証言」の解説は、「チルボン島事件」の解説の一部です。
「朝鮮人軍属の証言」を含む「チルボン島事件」の記事については、「チルボン島事件」の概要を参照ください。

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