曲名決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:15 UTC 版)
協会の記録や議事録、パート譜のセットや1867年2月15日以前の新聞には、『美しく青きドナウ』という曲名は一切出ておらず、初演の直前になって曲名が決められたようである。最終的にハンガリーの詩人カール・イシドール・ベック(ドイツ語版)の作品『An der Donau』の一節を曲名として拝借することになったが、誰がこの曲名に決めたのかは明らかでない。 『An der Donau』Und ich sah Dich reich an SchmerzenUnd ich sah Dich jung und holdWo die Treue wächst im HerzenWie im Schacht das edle Gold,An der Donau,An der schönen, blauen Donau. (日本語訳)憂いに満ちた君が見える。若く美しい君が見える。変わらぬ思いが心の中で大きくなっていく、高貴なる黄金のごとく。ドナウ川のほとりで、美しく青きドナウのほとりで。 ウィーンから眺めるドナウ川の色は、濁った茶色かせいぜい深緑色といったところであり、『美しく青きドナウ』という曲名のイメージには程遠い。ドナウ川が美しい青色に見えるのはハンガリー平原に入ってからといわれ、ベックがハンガリー人であることからも推測できるが、この詩はそもそもハンガリー(おそらく国土の南部)を流れるドナウ川のほとりを舞台にした恋の詩だと考えられている。(もともとはウィーンから見ても綺麗な川だったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世下で治水工事が行われた結果、景観がすっかり変わってしまったとする説もある) シュトラウス2世の父ヨハン・シュトラウス1世のワルツ『ドナウ川の歌』(作品127)の旋律が、このワルツに似て「ソ・ド・ミ・ソ・ソ」で始まることも、ドナウ川に関する曲名に決まった理由の一つだと指摘される。おそらく、『ドナウ川の歌』のおかげでまずドナウの題名とすることが決まり、そしてベックの詩の一節から『美しく青きドナウ』に決まったのであろう。いずれにせよ、歌詞が先行して付けられ、最後の土壇場で歌詞とはまったく無関係な曲名が付けられたということは疑いようがない。なぜならば、初演の直前まで『美しく青きドナウ』という曲名が出てこないのに加えて、ヴァイルの歌詞には「ドナウ」という文字が一度たりとも出てこないからである。
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