時代区分・方言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 18:21 UTC 版)
アッカド語は歴史・地理的に次のように区分される。 紀元前2500年頃 – 紀元前1950年頃:古アッカド語 紀元前1950年頃 – 紀元前1530年頃:古バビロニア語(南部) / 古アッシリア語(北部) 紀元前1530年頃 – 紀元前1000年頃:中期バビロニア語(南部) / 中期アッシリア語(北部) 紀元前1000年頃 – 紀元前600年頃:新バビロニア語(南部) / 新アッシリア語(北部) 紀元前600年頃 – 紀元後100年頃:後期バビロニア語 すでに紀元前2600年頃のシュメール語文書にアッカド人の名前が見えている。アッカド語の最古の資料は紀元前2350年頃のものだが、紀元前2200年頃になるとシュメール人の復活によってアッカド語の資料はあまり見られなくなる。古アッカド語の資料はあまり多くなく、その言語については不明な点も多い。紀元前2千年紀にはいると再びアッカド語の資料が増え、西暦紀元後に至るまでとぎれずに資料が存在する。その言語は北のアッシリア語と南のバビロニア語に二大別されるが、両者の違いは主に音韻面にあり、文法や語彙の違いは限定的である。アッシリア学者は両者をそれぞれ約500年ごとに機械的に時代区分している。 紀元前1千年紀の中頃にアッカド語はアラム語に圧倒されて、話し言葉として使われなくなったと考えられる。しかしその後も西暦1世紀にいたるまでアッカド語の文章は書かれ続けた。 古バビロニア語は古典語として統一的な文法が使用され、紀元前1千年紀にはいっても標準的な文語として使用され続けた(標準バビロニア語と呼ぶ)。『ギルガメシュ叙事詩』『エヌマ・エリシュ』はこの文語で記されている。中期バビロニア語はそれに比べると残っている資料が少ないが、この時代にアッカド語は中東のリンガ・フランカとして使われ、アマルナ文書にはこの言語で書かれたバビロニア、アッシリア、ミタンニ、ヒッタイト、キプロス、エジプトの350件の書簡が含まれるが、これらの資料の言語はアッカド語話者でない書き手の母語に強く影響されている。新バビロニア語は新バビロニアとアケメネス朝時代に使用され、多くの資料が残っている。後期バビロニア語はアケメネス朝末期からセレウコス朝にかけて使用されたが、アラム語の影響が非常に強い。 バビロニア語が広く国際的に使われたのに対して、アッシリア語の資料はより限定的である。しかし新アッシリア王国時代に使われた新アッシリア語の資料は豊富に残っており、紀元前7世紀末に王国が滅亡するまで使用された。
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