明治・大正・戦前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 12:10 UTC 版)
「丹後町立虎杖小学校」の記事における「明治・大正・戦前」の解説
学制の発布に伴い、1872年(明治5年)には竹野郡鞍内村に第三大学区第九中学竹野郡鞍内校として創立された。遠下村・鞍内村・三山村・小脇村・神主村の各村に教場を設置し、教師が巡回して授業を行った。後に鞍内村と三山村に校舎を設け、平小学校三山分校と平小学校鞍内分校になった。 1890年(明治23年)、竹野郡上宇川村字鞍内に平尋常小学校分教場が置かれ、三山・小脇・竹久僧・鞍内の4区を学区とした。1896年(明治29年)、上宇川村字三山に新たに上宇川第二尋常小学校の校舎が設立され、三山・小脇・竹久僧の3区を学区とした。この際に鞍内は上宇川第一尋常小学校の学区となった。1904年(明治37年)には鞍内が上宇川第二尋常小学校の学区に移動した。1905年(明治38年)には上宇川村小脇小字板取33に新築された校舎で授業が開始された。 1907年(明治40年)3月には上宇川第二尋常小学校から虎杖尋常小学校に改称した。1923年(大正12年)12月19日には校舎が火災で焼失し、重要記録を焼失した。1924年(大正13年)10月には教室2室、裁縫室、教員室、雨天体操場からなる新校舎が建設され、1929年(昭和4年)には2教室が増築された。1938年(昭和13年)4月1日には虎杖尋常小学校が廃止され、上宇川尋常高等小学校虎杖分教場となった。1941年(昭和16年)には上宇川国民学校虎杖分教場となり、5年・6年の児童は本校である上宇川国民学校に通うこととなった。 1924年に新築された校舎の認可申請書 1939年の卒業証書
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