日本市場でのアルファスッド
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「アルファロメオ・アルファスッド」の記事における「日本市場でのアルファスッド」の解説
日本市場では1974年から当時のディーラー伊藤忠オートによって輸入が開始され、tiも1年遅れて1975年より導入開始となった。伊藤忠オートの方針によりほぼ全てが右ハンドル仕様となったが、排気ガス規制に対応できず1976年に輸入は中断された。この初期型はカーグラフィック誌の長期テスト車にも採用され、傑出した操縦性や機械的な信頼性の高さが評価されたが、2年足らずで大規模な錆が随所に発生するなどしたため、ボディ内外の仕上げと耐久性は酷評された。 その後、1978年頃から伊藤忠オートが少数限定枠を利用して本国仕様のスプリント、シリーズ2の4ドアベルリーナやtiの少数輸入を再開する。当時のカーグラフィック編集長であった小林彰太郎が1980年に4ドア1.5スーパーを購入したが、購入後3年足らずでタイミングベルトが破断してバルブとピストンが衝突し、走行不能になるというトラブルに見舞われた。また、フロントガラスが突然落下するトラブルに関して本社に直接抗議の手紙を送ったものの、「うちの車にそんなことはない」と事実を否定されたという。 カーグラフィック誌と関わりの深い松任谷正隆もかつて購入。その数年後、バンドのメンバーに譲って欲しいと望まれた際に、錆が多発する可能性を指摘したが、それでも良いとの事で譲り渡した。松任谷によれば、その車両は後に走行中にタイミングベルトの破断に見舞われたという。 カーグラフィック誌を通じて、こうした品質面の不安が購買層であった自動車マニアに周知されてしまったこと、オートマチックトランスミッション(AT)や本格的なエアコンが1980年代になっても選択できなかったこと、1983年に伊藤忠オートがアルファロメオ販売から撤退し、後を引き継いだ日英自動車も1985年に解散するなどディーラーが二転三転したことから、輸入再開後のアルファスッドは市場では極めてマイナーな存在に終わってしまった。
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