日本市場でのアルフェッタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 00:27 UTC 版)
「アルファロメオ・アルフェッタ」の記事における「日本市場でのアルフェッタ」の解説
アルフェッタは1973年から当時のディーラー伊藤忠オートによって輸入開始された。GTも1975年に導入開始となった。伊藤忠オートの方針によりほぼ全てが右ハンドル仕様であった。DOHCエンジンによる高い動力性能と傑出した操縦性は日本市場でも歓迎され、特に当時のカーグラフィック編集長で高名な自動車評論家であった小林彰太郎が1975年にベルリーナを購入したことによって、当時のマニア層に広く受け入れられた。 しかし、排気ガス対策が厳しくなった1977年以降は北米輸出仕様の2,000ccに切り替えられ、大幅な性能低下、大型バンパー装着と米国市場向けサスペンションセッティングによる操縦性悪化により、一気に不人気車になってしまう。女性ドライバーを意識してオートマチックモデルを追加投入するなどの努力も空しく、1983年に伊藤忠オートは1960年代以来のアルファロメオ販売から撤退、後を継いだ日英自動車が、少数限定枠を利用して本国仕様のGTVやGTV2.5V6の限定輸入を継続した。
※この「日本市場でのアルフェッタ」の解説は、「アルファロメオ・アルフェッタ」の解説の一部です。
「日本市場でのアルフェッタ」を含む「アルファロメオ・アルフェッタ」の記事については、「アルファロメオ・アルフェッタ」の概要を参照ください。
- 日本市場でのアルフェッタのページへのリンク