日本国外に対する運動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本国外に対する運動の意味・解説 

日本国外に対する運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:15 UTC 版)

原爆の絵運動」の記事における「日本国外に対する運動」の解説

この運動によって集められた絵は、日本国内のみならず日本国外での原爆展において展示されることも多い。1977年昭和52年)には前述画集劫火見た 市民の手で原爆の絵を』が英訳されアメリカのパンテオン・ブックス(英語版)より『Unforgettable Fire』の題で出版された。 第2回国連軍縮特別総会開催され1982年昭和57年)には、アメリカ16州の29都市カナダの1都市で、「市民描いた原爆の絵」展が68回にわたって開催され最終日にはニューヨーク国際連合本部ビルで、これらの絵が2週間わたって展示された。この開催中広島原爆被爆者でもある反核運動家の松原美代子アメリカ平和運動家であるバーバラ・レイノルズ(英語版)らが、のべ11万人超える人々核廃絶訴えたバーバラはこれらの絵を通じてアメリカ核開発危険性訴えるべく、「ヒロシマ落ちた原爆は、結局はアメリカにも落ちているのです。核実験原子力発電所作業従事した人たちの上に、その周辺住民たちや子供たちの上に」と述べた。 このアメリカでの運動模様は、アメリカではロサンゼルス・タイムズ』紙で2ページわたって大きく取り上げられ、『サンフランシスコ・エグザミナー』『サンフランシスコ・クロニクル』『ニューズウィーク』などでも報じられるなど、大きな反響呼んだ日本ではNHK特集『これがヒロシマ原爆の絵アメリカを行く』として放送され同年度の地方の時代賞の特別賞平和賞)、放送批評懇談会によるギャラクシー賞第20回月間賞受賞した。 また同1982年アメリカとカナダ加えてイギリスオーストラリアニュージーランド東西ドイツフィンランドなどの美術館にもこれらの絵が貸し出され大きな反響呼んだ1983年昭和58年)には『これがヒロシマ原爆の絵アメリカを行く』の英語版製作されアメリカ各地紹介されアメリカとカナダ反核大集会開催されるきっかけにもなった。同年シカゴ平和博物館(英語版)からの依頼により、シカゴ展覧会開催され大成功収めたアイルランドロックバンドであるU2アルバム『The Unforgettable Fire』(日本語題『焰』)は、このシカゴでの展示影響受けて制作されたものである2005年平成17年)には、原爆惨事と平和の尊さ日本国外にも広く訴えることを目的とし、『市民の手で原爆の絵を』を含むNHK3つの番組が、アジアヨーロッパ南アメリカなど15か国の放送局無償提供された。原爆テーマにした作品日本国外への無償提供は、これが初めてのことである。

※この「日本国外に対する運動」の解説は、「原爆の絵運動」の解説の一部です。
「日本国外に対する運動」を含む「原爆の絵運動」の記事については、「原爆の絵運動」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本国外に対する運動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本国外に対する運動」の関連用語

日本国外に対する運動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本国外に対する運動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの原爆の絵運動 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS