日本の暦の歴史とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本の暦の歴史の意味・解説 

日本の暦の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:33 UTC 版)

日本の暦」の記事における「日本の暦の歴史」の解説

前記和暦に基づき以下の暦(暦書暦表)が使われてきた。暦の作成配布日本限らず古代より統治者朝廷幕府)によって取締られてきた事項であり、明治至って神宮暦一本化された。暦の決定国家が法で行うが、カレンダーは(それに従って自由に作ってよい、と明確に分離され自由になったのは、戦後1946年である。 具注暦ぐちゅうれき元嘉暦を基に作られた暦である。飛鳥時代木簡具注暦記したものが見つかっている。奈良時代には朝廷陰陽寮作成し頒布していた。)鎌倉時代具注暦仮名表記にした仮名暦かなごよみ)が現れた。 京暦きょうごよみ始まり鎌倉時代推定されている。15世紀中頃には摺暦座(すりごよみざ)が専売権持っていた。 1657年には朝廷御用達全国の暦師の監督権持っていた大経師だいきょうじ)が大経師暦を発行していた。 三島暦みしまごよみ奈良時代8世紀後半)から続くと言われている。この三島暦作ったのは奈良から三島宿移ってきた暦師河合家であった江戸時代初期には幕府の公式の暦となり、関東東海地方広く使われていた。河合家平成入り50代続いた暦師を廃業した大宮暦おおみやごよみ)戦国時代武蔵国大宮氷川神社作成され仮名暦丹生暦(にゅうこよみ)三重県丹生賀茂家が版行していた暦で遅くとも16世紀中頃には発行されていたが、後に伊勢暦にとってかわられる伊勢暦いせごよみ1632年より発行され江戸時代には全国各地配布された。 この暦には吉凶凡例日ごと節季農事に関する記述があり生活暦せいかつれき)として重宝され伊勢詣土産にもなっていた。配布数も増加し享保年間(1716-1735)には毎年200部が出版され全国配られた暦の約半数占めていたともいわれている。 江戸暦(えどごよみ)江戸の人口増大伴って17世紀中期から刊行され1697年には11からなる仲間組織結成された。 1871年明治4年)には改暦および官暦の発行に伴い全国の暦師をまとめた頒暦商社組織された。官暦ではそれまで記載されていた吉凶記載除かれ明治末には旧暦記載無くなったため、それらを記載した非合法お化け暦おばけごよみ)が出回った1883年には本暦(官暦)の発行神宮司庁管轄となり神宮暦じんぐうれき)と呼ばれた1903年日めくりカレンダー製造が始まる。 1946年には暦の専売制廃され発行自由化された。

※この「日本の暦の歴史」の解説は、「日本の暦」の解説の一部です。
「日本の暦の歴史」を含む「日本の暦」の記事については、「日本の暦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本の暦の歴史」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本の暦の歴史」の関連用語

日本の暦の歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本の暦の歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の暦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS