日本における信仰
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護身や蓄財などの神として日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就や立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助や前田利家や立花宗茂といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。 日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。 タイ捨流剣術では、現在でもなお、「タイ捨流忍心術」摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入る。
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日本における信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:12 UTC 版)
日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が受容された。 庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期には七福神に組み入れられるようになった。真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされる。肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになった。 布袋図も当初は弥勒菩薩の化身として描かれていたが、次第に「腹さすり布袋図」や「眠り布袋図」のように人間的な「布袋図」も描かれるようになった。 なお七福神が確定するのは江戸後期のことである。「布袋図」も多く描いた仙厓の『七福神画賛』には布袋が描かれているが福禄寿でははなく稲荷神が描かれている。 1 2 3 4 小田野直武 1. 葛飾北斎 (1760-1849)『布袋図』/水墨画。 2. 歌川国芳 (1798-1861)『布袋図』/水墨画。 3. 月岡芳年 (1839-1892)『月百姿』「悟道の月」/1888年の浮世絵。全100図中の第61図。 4. 通宝山弥勒寺(姫路市夢前町寺1051)にある日本最大の布袋像(石造布袋坐像)。
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