新興東京のスターとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 新興東京のスターの意味・解説 

新興東京のスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 14:30 UTC 版)

真山くみ子」の記事における「新興東京のスター」の解説

1916年大正5年7月2日福島県生まれる。1934年昭和9年)、旧制麹町高等女学校現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する1935年昭和10年)、トーキーによる現代劇製作するスタジオである、日活多摩川撮影所現在の角川大映撮影所)に入社する最初芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期記録に残る作品は、阿部豊監督し日活協同映画社、太秦発声映画ゼーオー・スタヂオ日本ビクター各社提携して製作した大作海国大日本』で、広瀬恒美演ずる松井敏夫」の妹「静子」役であった同作は、同年5月27日日活配給し公開された。満18歳での同作への出演が、真山スクリーンデビューとなった167センチメートルという長身美貌で、日活京都撮影所の大スター俳優大河内伝次郎の目に止まり時代劇映画千両礫』での大河内相手役抜擢されたが、芝居おぼつかなく、途中降板憂き目遭った。 翌1936年昭和11年)、新興キネマ(のちに合併して大映現在の角川書店映像事業部門)に移籍し真山くみ子」と改名する記録みられる同社での最初出演作品は、同年10月9日公開された、新興キネマ東京撮影所現在の東映東京撮影所)が製作し伊奈精一監督した小間使日記』で、準主演級役どころであった1週間後同年10月15日公開された、高田稔高田プロダクション製作、牛原虚彦監督の『兄の誕生日』では、高田演じ「兄」の妹役で高田に次ぐ主演であった以降1941年昭和16年11月13日公開された、同社での最後作品にあたる深田修造監督の『太陽先生』にいたるまで、大作山路ふみ子らの主演作以外では、ほとんどが主演立松晃宇佐美淳清水将夫若原雅夫主演俳優相手役務め新興キネマ現代劇スター女優でありつづけた1942年昭和17年)、戦時統制のため、新興キネマ大都映画日活製作部門と合併し大映形成すると、真山そのまま在籍し戦時中日本全体の製作本数の減るなか、島耕二監督の『山参道』(同年)、小石栄一監督の『八処女の歌』(同年)、沼波功雄監督の『結婚命令』(1943年)等で主演を果たすことが出来た

※この「新興東京のスター」の解説は、「真山くみ子」の解説の一部です。
「新興東京のスター」を含む「真山くみ子」の記事については、「真山くみ子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「新興東京のスター」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新興東京のスター」の関連用語

新興東京のスターのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新興東京のスターのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの真山くみ子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS