新興演芸とは? わかりやすく解説

新興演芸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 22:32 UTC 版)

新興キネマ」の記事における「新興演芸」の解説

1939年昭和14年3月29日には演芸部発足吉本興業からミスワカナ・玉松一郎香島ラッキー・御園セブン益田喜頓坊屋三郎らを引き抜き一時大騒動発展する背景には吉本所属芸人あまりにも多くなり、少々活躍ではギャラアップや劇場での出演順のランク上昇などが認められなくなっていたことが挙げられる。また新興では当初から芸人異なエリア劇場ローテーションする興行体制予定したことや、映画製作による収益等も見込んでギャラ等を計算したため、芸人にとっては大幅な待遇改善ギャラの上昇につながった。 「松竹芸能#吉本興業との関係」も参照 坊屋三郎は後に当時のことを「吉本では10日毎にネタ要求されていたのが新興では(大阪京都神戸劇場10日毎にローテーションするため)新ネタ1ヶ月毎でよくなりきちんとした作家も付く。独立したショー用意され一流バンドダンサーもつく。おまけに月給90円か300円に上がるとなると、これでOKしないのはバカだよ」と語っている。これに対し吉本側芸人たち新興側の劇場への出演禁じ仮処分申請行ったり、暴力団使って実力興行阻止しようとしたりといった方法対抗したが、既に日中戦争始まっているという時節柄もあってか京都府警大阪府警調停乗り出す結局同年5月22日両社の間で和解成立し正式に芸人移籍認められた。さらに1941年昭和16年)には、漫才作者として有名な秋田實吉本興業から同社移籍し文芸部長に就任している。

※この「新興演芸」の解説は、「新興キネマ」の解説の一部です。
「新興演芸」を含む「新興キネマ」の記事については、「新興キネマ」の概要を参照ください。

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