新政府軍集結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)
10月30日、旧幕府軍による箱館占拠の通報が東京に届き、新政府は直ちに津藩兵・岡山藩兵・久留米藩兵計約1,000名を海路で青森に送った。11月6日、奥羽征討軍参謀であった山田顕義が長州藩兵・徳山藩兵を率いて秋田から青森に入り、11月9日、青森口陸軍参謀に就任。そして11月19日には旧幕府軍追討令が出され、11月27日、青森に避難していた箱館府知事・清水谷公考が青森口総督を兼務することとなった。しかし、冬季作戦等の準備は全くないので、箱館征討は翌年の雪解けを待って開始することとして青森周辺に冬営した。 陸軍は、明治2年(1869年)2月には松前藩、弘前藩兵を中心に約8,000名が青森に集結した。一方、海軍は、アメリカの局外中立撤廃を受けて、品川に係留されていた最新鋭の装甲軍艦甲鉄を2月に購入するとともに、増田虎之助を海軍参謀として諸藩から軍艦を集めて艦隊を編成した。3月9日、新政府軍艦隊(甲鉄・春日・陽春・丁卯)の軍艦4隻と豊安丸・戊辰丸・晨風丸・飛龍丸の運送船4隻は、甲鉄を旗艦として品川沖を青森に向けて出帆した。 ◇ 新政府軍各藩出兵数(陸軍)◇弘前2,207 松前1,684 長州781 備後福山632 備前岡山541 熊本396 徳山300 薩摩293 筑後243 黒石243 水戸219 津199 越前大野170 箱館府200 合計 8,108
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