新幹線ひかり号車軸折損事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「新幹線ひかり号車軸折損事故」の解説
1966年(昭和41年)4月25日 19時ごろ 東海道新幹線名古屋駅を東京にむけて出発した「ひかり42号」(新大阪駅18時00分発・0系12両編成)が、熱田付近の曲線を走行中の最後尾の台車から異常振動と火花を出していることを車掌が視認した。その後異常なく走行していたが、豊川橋梁付近のカーブ (R2500) で再び異常振動と火花を出しているのを車掌が視認したため、運転士に通報し非常ブレーキをかけ通過予定駅の豊橋駅 を400 m過ぎた地点で停止した。ここで職員が降りて確認したところ後部車両の台車の第二軸に異常があり、中央列車指令の指示で「ひかり42号」を豊橋駅の第2副本線に退行して入線し、後続の「ひかり44号」「ひかり46号」「ひかり48号」「ひかり54号」の計4本を臨時停車させて42号の乗客を代替輸送した。 事故自体は人的被害が出なかったため、大きく報道されなかったが、故障車両を搬送機器に載せて浜松工場に回送後に行われた検査で、車軸が折損しており、かろうじて駆動装置と軸箱に支えられていたという相当深刻な事態であったことが判明した。 そのため折損した車軸が軸箱に引っかかっていなければ、名古屋駅を発車した直後に脱線転覆した可能性があった上に、車掌が異常に気付かず豊橋駅で停止していなければ、やはり高速運転中の急カーブで同様の惨事が起きていた可能性があったという。 車軸折損の原因であるが、鉄研・金属材料研究所での検査の結果、メーカーの製造段階で高周波焼入れ中に停電があったため、材質に欠陥があり金属疲労を引き起こしたというものであった。事故対策として一層の品質管理と検査の徹底が行われることになった。
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