新居浜太鼓祭りとの比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 07:34 UTC 版)
この地方では昔よりそれぞれの祭りの特徴をあらわす表現として 西条祭りは「豪華絢爛」、新居浜太鼓祭りは「勇壮華麗」という呼び方が定着しており、特に観光ガイドなどでの紹介ではそのように記述されることが多い。 香川県西部から愛媛県東部の西条市にかけての瀬戸内海沿岸地域は 古来より極めて祭りの盛んな地域であり、それらの中でも特に際立つ異彩を放つのが西条祭りと隣市の新居浜太鼓祭りである。この二つの祭りは、互いにその規模もさることながら地元人の祭りにかける情熱において、地方にもかかわらず全国の有名な祭礼と比肩して譲らぬ非常に激しい祭りとして知られている。また 西条祭りにおける屋台の奉納台数はいまや全国随一とまで言われており、他県に類を見ない非常に大規模な祭りとしても年々その知名度を広めている。 天保6年(1835年)、第9代西条藩主 松平頼学(よりさと)が命じ、天保13年(1842年)に 日野暖太郎和煦 (-にこてる/1785年-1858年)の手により編纂された 西条藩の地誌である『西條誌』には、新居浜の一宮神社の祭礼について「台尻(だんじり)、幷に御輿太鼓数、合十七」という記述があり、同一の藩領であった西条・新居浜ともに元は同様の祭りであったとされている。ただし、この「御輿太鼓」が西条で見られる「ミコシ」を指すのか太鼓台を指しているのかは現在も議論され、研究が進められている。 以後、新居浜では次第にだんじりが廃れ、讃岐~宇摩地方より伝わった太鼓台(ちょうさ)が祭礼の主役になったのに対し、西条では旧来の形をほぼ残した形で現在に至っている。これによって現代では 西条市が四国の瀬戸内沿岸地域における祭礼文化圏の境界となっており、この地域での祭礼屋台の奉納は西条市以西の地域では現在「西条型だんじり」が主流であり、太鼓台での奉納は少数派となっている。 また新居浜市新居大島での祭礼(ここにも吉祥寺という寺が存在する)をはじめとする瀬戸内海海域の離島諸地域の祭礼には西条型だんじりの原初の形態の屋台がいまも奉納されており、これは「屋台(だんじり)」という祭礼神具の形態が太鼓台のように陸上からではなく海から伝播してきたものであることを裏付けており非常に興味深いものがある。 なお、西条祭りにも新居浜市に近い地域に神社が位置する飯積神社の祭礼においては、現在 新居浜型の太鼓台が新居浜市 大生院地区より4台(新居浜太鼓祭りとの2重奉納)+西条市 飯岡~玉津地区7台の計11台奉納されている。この祭礼でのかきくらべは隣市の新居浜太鼓祭りと並んでもしてけっして譲らず、むしろより血気盛んな独特の味わいを持つため 飯積祭礼のファンも多い。また練りの技術もとても高く、近年では「寄せ太鼓」の「11台同時差し上げ」の元祖としても知られている。
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