新居浜市への合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:14 UTC 版)
新居浜市は別子銅山によって基礎が築かれ発展してきたことで、両市村の合併を望む声もあったが、別子山村では長年自主独立の気運が高く、また社会基盤や行政事業が同じ宇摩地域である伊予三島市(現四国中央市)に大きく依存していたため新居浜市との合併は現実的ではなかった。 しかし、平成の大合併で宇摩地域も一つの市となる協議が進められるようになったとき、村民の間では「このまま宇摩に付いていいのか」という声が広まった。生活は宇摩であるが産業・歴史的には新居浜市と結びつきが強く、また多くの村民の家族が新居浜市に居住している。宇摩地域で合併協議を進めても、過去に同じ銅山川流域で、東に隣接していた富郷村が伊予三島市に編入された後は山奥の過疎地域として衰退してしまった記憶があるため、同じ道を歩むのではないかという不安があった。 様々な意見はあったものの、村議会で全会一致で新居浜市を合併先とすることが決議され、新居浜市に合併を打診した。新居浜市側で協議を重ねた結果、別子山村受け入れが決議されることとなった。 合併後の旧村役場は新居浜市別子山支所として再スタートし、また長年無医村地区であったが新居浜市医師会による診療所が開設された。また、念願の新居浜市街と結ぶ市営バスも運行を始めた。合併の話が出る以前から進められていた新居浜市と別子山を結ぶ主要地方道・新居浜別子山線の改良工事も県の重要道路事業として位置づけられており、両地域をつなぐ基盤整備が進められている。
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