新世界ビル火災
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1970年(昭和45年)11月25日の午後6時頃、新世界5階のお化け屋敷を見物中のアベックが、天井附近にうっすらと漂っている煙に気付いた。初めは演出だと思っていたが、やがて「お化けの寝姿」の布団の中央附近から炎が立ち上がったため、火災と気付いて驚き引き返した。このとき電気が消え、アベックは出口方向へ走って避難したが、既に火が場内の笹などに燃え移っており、頭髪を焦がしている。 自動火災報知機もこれと前後して作動し、1階保安室の係員が駆け上がって、5階の客30名、6階の客30名、7階の客70名ほどを誘導して中央階段から避難させた。東京消防庁は第二出場を指令し、はしご車4台を含む消防車21台が駆けつけた。ただ地上20メートルでの火災であったこと、内部に煙が立ち込めていたことから、消火には手間取り、鎮火には2時間が掛かった。 浅草六区の真中で起こった火事に、買い物客や鷲神社の三の酉の祭りに来ていた参拝客ら3,000人の野次馬がビルを取り囲み、現場は一時大混乱となった。新世界前の浅草映画劇場など映画館数館も上映を中止し、同月一杯まで使える「非常券」を渡した上で、客約300人を屋外へ避難させている。 この火事による死傷者はおらず、被害については、『火災』(日本火災学会の刊行物)の武井勝徳は6階の200平方メートルと天井の100平方メートルほどが焼損したとし、『読売新聞』は、5階の420平方メートルと6階の一部が焼かれたとし、『朝日新聞』は5階と中6階の天井約420平方メートルが焼けたとし、『毎日新聞』はお化け屋敷の120平方メートルと5階の天井300平方メートルが焼けたとしている。 また原因について、『毎日新聞』は客の「窓ぎわのお化け人形から煙が吹出していた。間もなく人形が燃えあがった」という証言から「人形の中に仕込んであったモーターの過熱かららしい」としている一方、『火災』は「原因は, 自動仕掛けの電動装置に異状なく, 開館中の出火であるところからお客のたばこの投げ捨と考えられている」としている。
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