新世界映画社改称から解散まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:08 UTC 版)
「朝日映画製作」の記事における「新世界映画社改称から解散まで」の解説
1947年2月、「新世界ニュース」にあわせて、社名を新世界映画社と改称。同年、荒井和五郎の影絵映画『椰子の実』(10分 白黒、独唱=三浦環)公開。 1948年、小山鵠郎監督、村山英治脚本、諸井三郎音楽『古代の農民生活 登呂』(11分・35mm・ナレーション徳川夢声)、労働組合映画協議会、全国繊維産業労働組合同盟から委託を受けた厚木たか構成による『少女たちの発言』(20分・16mm・白黒)製作。 1949年、労働組合映画協議会、労映国鉄映画製作団『号笛なりやまず』(36分・35mm・白黒)を製作。同年2月、債務超過のため業務停止となり、解散した。
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