文部行政への貢献とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 文部行政への貢献の意味・解説 

文部行政への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 01:47 UTC 版)

小松原英太郎」の記事における「文部行政への貢献」の解説

明治41年1908年第2次桂内閣文部大臣および農商務大臣臨時代理就任韓国皇帝より勲一等太極章受章明治43年1910年)、「図書館設立ニ関スル訓令」を公布明治44年1911年)、「高等中学校令」(勅令217号)を公布大正元年1912年)、「図書館管理法」を公布明治45年1912年)から大正8年1919年)まで東洋協会専門学校(後の拓殖大学第2代学長務める。 文部大臣としては南北朝正閏問題大逆事件後の処理をはじめ、仮名遣い改正問題東京高等商業学校における「申酉事件」の処理などにあたった小松原高等商業学校単科大学への昇格案には、一貫して否定的であった。更に次のように力説した。 「 日露戦争後社会風潮は、「浮華軽佻」に傾き学生生徒もこれに「感染」して、贅沢、無規律無節制、「師父」に仕え長上を敬う」師道衰退、「學校騒動」、「不健全」な小説雑誌、「劣情」を生んでいる。 」 また、図書館普及目指して「図書館設立ニ関スル訓令」を公布し全国図書館の設置奨励したが、小松原及び文部省意図図書館は「国民教化」を目指すものであり図書館そのものの向上より統制図ったものとして、図書館界との対立を招くことになる。更に中学校・高等学校ギムナジウム化を目指し中等科4年高等科3年7年制の高等学校設立計画するが、枢密院などの反対によって骨抜きにされた「高等中学校令制定留まりそれすらも小松原辞任後施行中止とされた。小松原計画臨時教育会議経て大正6年1917年)の高等学校令改正翌年公布)で実現化される。臨時教育会議小松原高等普通教育に関する部会配属して議論主導させたのは、小松原無念を知る当時文部次官であった岡田良平文部大臣配慮であったという。

※この「文部行政への貢献」の解説は、「小松原英太郎」の解説の一部です。
「文部行政への貢献」を含む「小松原英太郎」の記事については、「小松原英太郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「文部行政への貢献」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文部行政への貢献」の関連用語

文部行政への貢献のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文部行政への貢献のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小松原英太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS