教会文化:聖歌・イコン・絵画とは? わかりやすく解説

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教会文化:聖歌・イコン・絵画(19世紀~20世紀初頭)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)

ロシア正教会の歴史」の記事における「教会文化:聖歌・イコン・絵画(19世紀20世紀初頭)」の解説

19世紀後半に入ると、教会文化豊かに開いた聖歌の面ではロシア・正教会伝統復興しようとした人々によって新たな地平切り開かれた。初めロシア聖歌混声合唱取り入れ古典聖歌研究行っていたアレクサンドル・アルハンゲルスキーといった聖歌作曲家のほか、世俗作曲家にもニコライ・リムスキー=コルサコフはじめとして伝統的聖歌復興模索する人々現れた。この時代多く作曲家正教会聖歌作曲している(Category:正教会聖歌作曲家参照)。19世紀末から20世紀初頭にかけてはパーヴェル・チェスノコフ活躍チェスノコフ多作聖歌作曲家であり、特に重低音活かした聖歌を得意とした。 19世紀ロシア聖歌伝統復興模索はまだ不十分であり、西欧聖歌からは脱却していないとする見解存在するが、イタリア音楽のほとんどコピーであった18世紀聖歌違い、この時代聖歌には現代でも正教会伝統則ったスタンダードとして歌われるものも多い。 イコンについてもイタリア・ルネッサンス影響脱してビザンチン伝統見直される運動始められた。他方世俗絵画領域では西欧的な手法用いつつも題材正教会則った作品数々生み出されていった宗教的象徴主義代表的指導者といわれるミハイル・ネステロフワシーリー・スリコフヴィクトル・ヴァスネツォフなどが有名であるが、彼らは世俗絵画の他に大聖堂フレスコ画も手がけた。 アレクサンドル・アルハンゲルスキーヴィクトル・ヴァスネツォフの父は正教会司祭であり、同時代のI.S.ベーリュスチン神父告発したような「無教養堕落したロシア司祭」というようなイメージとは異な人々そうした階層からも生み出されていたことが窺える19世紀ロシア正教会教会文化は、その時期に伝道された日本ハリストス正教会今日に至るまで多大な影響及ぼしている。ボルトニャンスキーアルハンゲルスキー聖歌今もなお日本正教会広く歌われている。この転換期留学したイリナ山下りんが「イタリヤ画」を好み、ビザンチンイコンを「おばけ絵」として嫌っていたという逸話も、両方様式混在していた時代背景あればこそであった。 これらの19世紀ロシア正教会文化については、その西欧化伝統継承度合い、及びその是非を巡り多様な温度差を伴う賛否両論がある。 以下の絵画イコンではないが、正教題材をとる世俗絵画である。 『曠野イイスス・ハリストス』(イワン・クラムスコイ) 『復活』(ハリストス地獄降り)(ヴィクトル・ヴァスネツォフ) 『クルスク県の復活大祭十字行』(イリヤ・レーピン) 『若きヴァルフォロメイの聖なる光景』(ミハイル・ネステロフ

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