撮影の改良とは? わかりやすく解説

撮影の改良(1年目から2年目以降へ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:16 UTC 版)

銭形平次 (大川橋蔵)」の記事における「撮影の改良(1年目から2年目以降へ)」の解説

撮影は、最初1年間アフレコ(撮影終わってからフィルム合わせて台詞や音を入れ撮影方法)であった。そのため台詞単調になり、橋蔵としてはどうも気分がのらず、シンクロにしたいと主張。しかし、東映テレビブロの現況では当時200から300する撮影機購入するわけにはいかず、そっと自分買おうとまで思い詰めた。幸い、東映社長大川博決断橋蔵希望入れられるになった。これがきっかけ東映テレビプロの撮影シンクロ切り替わりその他の設備も色々改良加えられ撮影条件向上した絶えフジテレビスポンサー検討し脚本家人数増やし万全な体制2年目突入した監督は、最初佐々木康長谷川安人メインだった。初め2話1週間撮っていたが、橋蔵忙しくなり、2話4日間で撮るようになった。やがて佐々木高齢撮影に困難が生じ新し監督として荒井岱志抜擢された。荒井橋蔵に「僕の顔のアップキレイに、これが日本一の顔だ、と撮ってほしい。銭形は僕が中心なんだから、僕が立つように。それを心がけくれればいいですよ」と言われた。荒井888話中90話を演出した。 平次コスチュームは、初め長谷川と同じ腹掛け付けていたが、2年目からは普通の町人スタイル変更した橋蔵辞め時を悩んだのは3年目終わった時だった。また、10年目迎える際に橋蔵は「視聴率良かったので延長延長重ね結局17回も延長してしまった。3年目終わった時は悩みましたこれまで橋蔵平次だったけど、これ以上続けると橋蔵そのもの平次になってしまう。イメージが固まるのは役者に取っていいのか、悪いのか?」とその決断迫られ、「以後はそうであってもいい」と平次なりきる道を選んだ橋蔵は「こうなった10年続けよう思いました10年たったあとはもうがむしゃらです」などと述べていた。

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