指揮官の資質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)
連合艦隊の幕僚たちは南雲中将に批判的であり、交代を要望しており、草鹿参謀長にも批判的であった。また宇垣によれば、「(一航艦)司令部は誰が握り居るや」の質問に二航戦司令官の山口少将は「(南雲)長官は一言も云はぬ、参謀長先任参謀等どちらがどちらか知らぬが臆怯屋揃いである」と答えている。攻撃隊の指揮官だった淵田美津雄によれば、戦前の南雲中将の印象は末頼もしい提督の面影があり、第一水雷戦隊司令官としても抜群の武将であるとの評判が高かったが、開戦後は航空という畑違いのせいもあってかはつらつとした昔の闘志が失われ、何としても冴えない長官であり、作戦を指導する態度は消極的で、長官自ら乗り出してイニシアチブをとるというようなことはなく、最後にうんそうかで採決するだけのようであったという。また当時、航空参謀の源田実から、大西瀧治郎や山口多聞あたりが上にいてくれるとあらゆる角度から叩き直して突っ返してくるから安心して自由奔放に作戦を練られるが、南雲司令部のように国運を左右するかもしれない案がチェックされずに通っていくと責任感で圧迫されて自然と萎縮してしまうという苦衷も聞いたという。 そもそも南雲中将は第二艦隊などの水上艦部隊の方が適任であり、年功序列で第一航空艦隊司令長官を決めた海軍人事行政に問題があったという指摘もある。一方で、戦術戦略には共通分母があり、水雷出身者でもあっても空母に乗って半年も経てばそれが判るはずだったとの批判もある。ミッドウェー海戦で米機動部隊を率いたスプルーアンスは、病気に倒れたハルゼーの代理で、ハルゼー麾下の巡洋艦戦隊の司令官から急遽抜擢された人物であり、空母勤務の経験は無く、この海戦の時点では南雲以上に航空に疎い提督だった。
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