指揮官に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:31 UTC 版)
「ウェストポートの戦い」の記事における「指揮官に関する論争」の解説
ブラント少将の命令(将軍野戦命令第2号)によって民兵隊の准将W・H・M・フィッシュベックの民兵連隊は志願兵の大佐チャールズ・W・ブレアの指揮下に置かれた。フィッシュベックはその部隊が志願兵士官の下に置かれたことに怒った。民兵隊は民兵士官の指揮下に置かれるべきとするカンザス法を根拠に、フィッシュベックはブラントの命令を無視した。ブラントはフィッシュベックを逮捕させ、後にカーティス少将の命令で釈放されるまで拘束した。フィッシュベックは釈放されたときに、ブラント少将から来た指示に従うようにという命令で、第5、第6および第10カンザス民兵連隊の指揮を執った。この厄介な措置で、フィッシュベック准将は第1師団第3旅団に付けられた民兵連隊を直接指揮することになり、チャールズ・W・ブレア大佐はその旅団の全体指揮を執った。ハワード・N・モネットはこの措置を「旅団の中の旅団」と表現した。ブレアとフィッシュベックはウェストポートで民兵隊を率い(G・W・ディーツラー将軍に伴われた)、カーティス少将が民兵隊に国に戻るよう命令するまで、プライス軍の追撃を行った。
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