指揮官の敵前逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)
「鳥羽・伏見の戦い」の記事における「指揮官の敵前逃亡」の解説
この時、歩兵隊は銃に弾丸を込めてさえおらず、不意の攻撃に狼狽し、滝川具挙は砲撃に驚き乗馬したまま前線から逃亡。奇襲を受け指揮官不在の形になった旧幕府軍の先鋒は潰走し、見廻組など一部が踏みとどまって抗戦していたところ、後方を進行していた桑名藩砲兵隊等が到着し反撃を開始した。日没を迎えても戦闘は継続し、旧幕府軍は再三攻勢を掛けるが、薩摩藩兵の優勢な銃撃の前に死傷者を増やし、ついに下鳥羽方面に退却した。具挙は前線を去り淀城に逃げ込もうとするが淀城側に拒まれて断念。戻って幕府軍の指揮をとるが再び敗れ、大坂を経て江戸に向けて敗走した。
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