指揮官の交代
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1916年1月18日、大洋艦隊の指揮を取っていたフーゴー・フォン・ポール大将が死病に侵され職を辞し、後任に第3戦隊司令官だったラインハルト・シェア中将が司令長官となった。2月21日に始まったヴェルダンの戦いでは海軍にも積極的な支援が求められ、皇帝は自由裁量権をシェアに与えた。シェアはかねてより温めていた作戦構想を進めた。 また相手となるジェリコーも積極行動に移ろうとしていた。東部戦線で苦戦するロシアがドイツ海軍をバルト海から駆逐し、物資補給を輸送してくれるようイギリス政府に強く催促したからである。軍令部は5月12日にジェリコー、ビーティー両提督と話し合い部隊編成に一部変更を行い、高速で15インチ(381mm)砲を装備する新鋭のクイーン・エリザベス級戦艦4隻からなる第5戦艦戦隊はビーティーの指揮下に編入し、偶々訓練目的でスカパ・フローにいた第3巡洋戦艦戦隊は「大艦隊」に編入することにした。この決断は後に正しかったことが証明される。 5月中旬、シェアは本格的に動き出した。17隻のUボートを展開させてイギリス海軍を警戒させると共にサンダーランドへの攻撃のため、主力全艦艇を率いて出撃しようとした。しかし天候の悪化と一部の艦艇の機関の不調への修理により出撃は遅れ、5月30日朝、目的地をスカゲラック海へ切り替えて出撃した。
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