抽象的な諸問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/22 10:10 UTC 版)
抽象的な数学の問題は数学のすべての分野に現れる。数学者は彼ら自身のためにそれらを研究するのだが、そうすることによって数学の領域外で応用を見つける結果が得られることがある。理論物理学は歴史的にそうであり続けてきたし、相変わらずインスピレーションの豊かな源である。 抽象的な諸問題の中には、古典幾何学の定規とコンパスによる作図だけを使用した円積問題や角の三等分問題、一般的な五次方程式の代数的解法のように、解くことが不可能であることが厳密に証明されたものもある。また、チューリングマシンの停止問題のように、証明可能性的に解くことが不可能な問題は、いわゆる決定不可能問題(英語版)と呼ばれる。 多くの抽象的な問題はお決まりの手順で解くことができるが、そのほかの問題は大変な努力を伴いながら解かれてきた。いくつかのとても重要な領域への進出については、それまではまだ一つの完全な解に導かれたことがなかった状態から生まれた。他方、ゴールドバッハの予想とコラッツの問題のような、そのほかの問題は未だあらゆる試みに抵抗している。よく知られた難しい抽象的な諸問題のうちのいくつかは、比較的最近になって解かれたもので、四色定理、フェルマーの最終定理、ポアンカレ予想が知られている。 われわれの想像力に新たな地平を切り開く目新しい数学的概念のすべてが、現実界と対応するわけではない。すべてが対応するなら、科学は新たな数学を探し求めるものにすぎなくなるだろう。現代数学の見地からは、数学の問題を解くことは、形式的には、チェス(あるいは将棋や碁)のような、一定のルールに制約された記号の操作に還元し得ると考えられている。この意味において、ウィトゲンシュタインは数学をひとつの「言語ゲーム」(独: Sprachspiel)と見なした。したがって、数学者によって現実の問題とは直接関わりを持たない問題も提起され得るし、また解くことも試みられる。また、数学がゲームであるとすれば、数学の研究成果の価値判断における新奇性(英語版)や差異性よりも、数学研究における数学者自身にとっての「面白さ」がより重視されるかもしれない。ポパーは、数学では容認されても他の科学分野ではできない、このような見方を批判した。 数学者が何かをするために必要な彼らの動機の感覚をもつことを、計算機は必要としない。数理科学において形式的な定義と計算機で検証可能な演繹は、絶対に要(かなめ)となる。計算機で検証可能な、記号に基づく方法論の活力は、そのルールなしには由来しない、しかしむしろ私たちの想像力に依存する。 「論理実証主義」および「反証主義」も参照
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