抽象的に見た為る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 03:58 UTC 版)
丸山眞男は評論「「である」ことと「する」こと」で、個人の自由な行為を保証する西欧の近代的価値観の在る社会を「為る」社会、身分や出自に価値をおく封建社会を「である」社会とおき、「為る」社会において、「上下関係はある一定の目的上の組織においてのみ成り立ち、違う組織においてはその上下関係が成り立つとはいえないのだから、通常の付き合いにまで会社の上下関係が付きまとうならば、それは身分的な社会である」と書いている。 日本語の動詞は約5000語 とされ、その内45%は単純動詞であるとされる。だが、単純動詞だけでは、語数が足りなくなり、複合動詞も誕生した。だが、それでもまだ不足しているので、それを補うために使われ始めたのが「為る」である。ただし、昔の為るは、紀貫之の土佐日記の冒頭「男もすなる日記といふものを……」のように、英語の代動詞的役割も持っていたので、今日までに意味が狭まっていったといえよう。
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