折平町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 07:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動折平町 | |
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— 町丁 — | |
折平町の位置 | |
座標: 北緯35度12分54秒 東経137度11分44.7秒 / 北緯35.21500度 東経137.195750度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市 | ![]() |
地区 | 藤岡地区 |
面積 | |
- 計 | 3.35km2 (1.3mi2) |
人口 (2011年12月1日[1][2]) | |
- 計 | 779人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 470-0464 |
市外局番 | 0565 |
ナンバープレート | 豊田 |
目次
概要
豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 町域西部で尾張国(現瀬戸市)と接し、戸越峠(とごしとうげ)を擁する外越道が往時より瀬戸との交通の要であった。現在では主要地方道である愛知県道33号瀬戸設楽線が戸越峠を越える。町域南東部では主要地方道に愛知県道350号北一色東広瀬線と愛知県道353号大平折平線が接合し、人家及び町の中心部はこのあたりに広がっている。そのほか、町域北部、北西部、西部は広大な山林が広がり、北曽木町にほど近い瀬戸市との境界線上に折平山(628.3m)がそびえる。町域南部を飯野川支流である折平川が東進し、町域東部で屋敷川が、町域西部では西屋敷川が、それぞれ折平川に注いでいる。
明治中期に主要地方道が開通し、沿道に鉄工場やろうそく工場が立地した。また大正期から昭和初期にかけて、陶土の原料となる石粉の生産が盛んであったという[3]。
歴史
沿革
- 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡柳平村」、天保期の郷帳においては「加茂郡折平村」という表記が見受けられる[4]。
- 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[5]。
- 1697年(元禄10年)- 旗本沼間氏の知行地となる(1701年(元禄14年)まで)[5]。
- 1868年(明治元年)- 三河吉田藩領となる[5]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[4]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、折平村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[3]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、折平村、石畳村(いしだたみむら)、大岩村(おおいわむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[6]。
- 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、折平村、石畳村、大岩村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[7]、折平村は高岡村大字折平に継承される[3]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[8]、高岡村大字折平は藤岡村大字折平に継承される[3]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[8]、住所表示が藤岡町大字折平に変更される[3]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市折平町に変更される。
その他
寺社
- 八柱神社
- 元亀年間の勧進と伝わる。「三州加茂郡高橋庄」と記された1686年(貞享3年)の棟札が伝わっている。はじめ八王子社と言われていたが、明治に入り八柱神社と改称したという[5]。
- 曹洞宗永平寺末向陽寺
- 山号は恵日山。本尊は聖観世音菩薩。永禄年間以前に開基したとされ、1731年(享保16年)に開山。境内には竜尾木と呼ばれる古木が残る。また母乳地蔵と呼ばれる地蔵尊(1810年(文化7年)の銘)があり、乳児の健やかな成長を祈り、布で形作った乳房を奉納する[5]。
文化財
指定文化財
天然記念物
- 折平のコウヨウサン[9]
名木
- 豊田市指定名木。樹高15.0m、樹齢200年以上。所在地は折平町姓敷。
その他の文化財
散布地
城館跡
- 折平城跡- 中世[11]
- 所在地は折平町内屋敷。東西41m、南北10.5m。本丸、二の丸、空堀などの遺構が残る[5]。
その他墓
- 六部塚
- 西加茂郡誌によれば、直径3mほどの円墳が残っている[5]。
脚注
- ^ 町別面積・人口・世帯数[リンク切れ](豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧)
- ^ なお、当該データの示す「人口」の根拠については明記が無い。ただし、豊田市の他のウェブページ(「データ提供 豊田市の人口」豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧) Archived 2012年3月20日, at the Wayback Machine.に示すように、住民基本台帳及び外国人登録原票をもとに整理された「登録人口」であると思われる。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:344-345ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ a b c d e f g h i 『日本歴史地名体系』23:845ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北曾木村』である。
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ 指定・登録文化財一覧[リンク切れ](豊田市ウェブサイト、2012年1月29日閲覧)
- ^ 豊田の名木(豊田市ウェブサイト、2012年1月29日閲覧)
- ^ a b 埋蔵文化財一覧 Archived 2013年7月13日, at the Wayback Machine.(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
参考文献
- 『愛知県の地名』日本歴史地名大系23、平凡社、1981年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年。
- 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
- 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。
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