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石畳町

読み方:イシダタミチョウ(ishidatamichou)

所在 愛知県豊田市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒470-0471  愛知県豊田市石畳町

石畳町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/07 13:36 UTC 版)

日本 > 愛知県 > 豊田市 > 石畳町
石畳町
—  町丁  —
石畳町の位置

石畳町

石畳町の位置

座標: 北緯35度13分35秒 東経137度12分17.3秒 / 北緯35.22639度 東経137.204806度 / 35.22639; 137.204806
日本
都道府県 愛知県
豊田市
地区 藤岡地区
面積
 - 計 1.16km2 (0.4mi2)
人口 (2011年12月1日[1][2])
 - 計 1,182人
 - 人口密度 1,019人/km² (2,639.1人/mi²)
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 470-0471
市外局番 0565
ナンバープレート 豊田

石畳町(いしだたみちょう)は、愛知県豊田市町名

目次

概要

豊田市の北西部に位置し、三国山の南東麓にある。藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 町域東部・南部では、町境付近を木瀬川支流である韮川と愛知県道352号上渡合土岐線が絡み合うようにして縦走している。東部に立地する豊田市立石畳小学校を中心とし、県道を挟んで東西に藤岡石畳体育館、藤岡山村広場、石畳こども園(いずれも住所は豊田市白川町)などの市施設が隣接、町域南部では坂下団地と呼ばれる戸建住宅の密集地がある。東部から北東部にかけても住宅地が点在するが、町域西部は大部分が山林であり、高根山がある。

明治末期頃には、石粉の生産が盛んであった。また養蚕も行われていたという[3]

歴史

沿革

  • 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡石畳村」、天保期の郷帳においても「加茂郡石畳村」という表記が見受けられる[4]
  • 1614年慶長19年)- 大坂冬の陣より帰参した折平村出身の田中亦蔵という人物により、現町域西部の山地の開墾が始められたとされる。なお、開墾地付近には徐々に人家が集まりはじめ、後年は碧海郡から移ってきた酒井家と中根家が中心となり、開墾が続けられたという[3]
  • 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[5]
  • 1701年元禄14年)- 旗本石川総昌の知行地となる[5]
  • 1871年明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[4]
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、石畳村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[3]
  • 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、石畳村、大岩村(おおいわむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[6]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、石畳村、大岩村、折平村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[7]、石畳村は高岡村大字石畳に継承される[3]
  • 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[8]、高岡村大字石畳は藤岡村大字石畳に継承される[3]
  • 1978年昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[8]、住所表示が藤岡町大字石畳に変更される[3]
  • 2005年平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市石畳町に変更される。

施設

教育施設

  • 豊田市立石畳小学校

寺社

  • 八柱神社
1668年寛文8年)の勧進。アメノオシホミミ他7柱を祀っている。1897年(明治30年)、藁縄の売却代を元手に高根山の荒れ地に植林が行われ、1953年(昭和28年)にはその売却利益で本殿が建立された[3]

文化財

散布地

  • 赤見夫(あかみそれ)遺跡- 縄文時代[5]
  • 池ノ平(いけのたいら)遺跡- 縄文時代[5]
  • 洞平(ほらだいら)遺跡- 縄文時代[5]

城館跡

  • 石畳砦跡
現町域西部、高根山の東側山稜にあり、南北20mにわたる掘削された平地が残る。一本の老松と共に、秋葉社が祀られている[5]
  • 梅ケ夫(うめがそれ)砦跡
高根山の東側丘陵上にあり、空堀と見られる二筋の遺構が残る[5]

脚注

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出典
  1. ^ 町別面積・人口・世帯数(豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧)
  2. ^ なお、当該データの示す「人口」の根拠については明記が無い。ただし、豊田市の他のウェブページ(「データ提供 豊田市の人口」豊田市ウェブサイト、2012年1月22日閲覧)に示すように、住民基本台帳及び外国人登録原票をもとに整理された「登録人口」であると思われる。
  3. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:141ページ
  4. ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
  5. ^ a b c d e f g 『日本歴史地名体系』23:846ページ
  6. ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北木村』である。
  7. ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
  8. ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ

参考文献

  • 『愛知県の地名』日本歴史地名大系23、平凡社、1981年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』、角川書店、1989年。
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。

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