戦力配置と戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「戦力配置と戦術」の解説
ハロルドの軍勢は急勾配の傾斜地の頂上に小さく密集した隊形で展開し、その両側面は前にある木々と沼地とで護られていた。戦列は近くの小川と繋がるに至るまで長く伸ばされていたかもしれない。イングランド軍は、前列がその楯を近づけて支え、あるいは重ね合わせもして攻撃からの護りを提供する楯壁(英語版)を築いていた。イングランド軍が戦った正確な場所について、各資料は食い違いを示す。いくつかは修道院の場所とするが、より時代を下ったいくつかの資料はカルドベック丘であったとしている。 ノルマン軍の展開についてはさらに多くが知られている。ギヨーム公は配下の軍を、おおよそ出身に即した3つの集団、あるいは各「部隊」(battle)に配置していたようである。左翼部隊はブルトン人で、アンジューやポワトゥー、メーヌ出身者がともにいた。この隊をブルターニュ公の親族であるアラン・ルーファス(英語版)が率いた。中央はノルマン人が占め、公が直接に指揮し、公の部隊の周辺には多数の彼の親族や縁戚が一団をなしていた。右翼の最後の隊はフランス人で構成され、ピカルディやブローニュやフランドル出身者がともにいた。右翼はウィリアム・フィッツオズバーン(英語版)とブローニュ伯ユースタス2世(英語版)の指揮下にあった。前列は弓兵で形成され、槍で武装した徒歩兵士の隊列がその後ろに控えた。おそらく少数の弩兵と投石兵が、弓兵とともにいた。騎兵は予備戦力として残しておかれ、またテラム丘の麓に位置した聖職者や従僕の小集団は、戦闘への参加をあてにされていたものではなかった。 ギヨームの戦力配置は、前列の弓兵が矢で敵を弱体化させて戦いを開始し、続いて歩兵が近接戦闘を挑む計画を彼が練っていたことを含意している。歩兵がイングランド軍の戦列に開口部を設け、そこを騎兵の突撃が利用可能となり、イングランド軍部隊を突破して逃走する兵を追撃することとなるものであった。
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