戦功を重ね出世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 20:45 UTC 版)
「ジョン・ファストルフ」の記事における「戦功を重ね出世」の解説
1378年または1380年、イングランド東部のノーフォーク・ヤーマス近郊のカイスターで誕生。裕福な商人と漁師の家系だった。 父が早くに亡くなり母の再婚相手に引き取られ、その縁で1398年にノーフォーク公トマス・モウブレーに小姓として仕えた。主君が同年に追放されるとランカスター朝に替わり、王族のクラレンス公トマスのアイルランド遠征に従軍、そこで12歳年上の裕福な未亡人ミリセント・ティップトフトと結婚する。 1415年にヘンリー5世のフランス遠征に従軍してから頭角を現し、アルフルール包囲戦(英語版)とアジャンクールの戦いで戦功を挙げ、ヘンリー5世がイングランドへ帰国するとアルフルールの駐屯地の一部を任された。1417年のヘンリー5世の再度のフランス遠征にも加わりカーンとルーアンの包囲戦に参戦、ナイトに叙せられた。1420年のトロワ条約でヘンリー5世がフランス王位継承者に選ばれると、ファストルフはパリのバスティーユ牢獄長官となり、ヘンリー5世亡き後は弟でヘンリー6世の摂政・ベッドフォード公ジョンに騎士団長として仕えるようになった。 ベッドフォード公の下でも戦功を重ね、1424年のヴェルヌイユの戦いでアランソン公ジャン2世を捕らえる手柄を挙げた。1425年にもル・マンを攻略、サフォーク伯(後のサフォーク公)ウィリアム・ド・ラ・ポールの下で行政を担当、ガーター勲章も授けられる名誉を受けた。この間、フランスで得た身代金や領地、役職からの収入などを本国へ送り、貯蓄で大金持ちになっていった。
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