戦争劇・新派劇
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1894年、日清戦争が始まると、いち早く戦争劇「壮絶快絶日清戦争」(9月浅草座で初演)を仕立てた。続いて川上は朝鮮半島に渡って戦地の状況を実見し、それをもとに「川上音二郎戦地見聞日記」を上演。これらの戦争劇は大評判となった。 翌1895年、歌舞伎座の舞台で「威海衛陥落」を上演した。歌舞伎の殿堂に素人あがりの役者が出るのは異例のことであり、劇通の人々を驚かせた(市川團十郎は、川上が歌舞伎座の桧舞台を踏んだことに激怒し、舞台を削り直させたと言われる)。同年末には、泉鏡花の小説を舞台化した「滝の白糸」を浅草座で上演。 1896年(明治29年)7月2日、 東京市神田区に川上座を開場した。この時期の詳細は、海外資料豊富な井上理恵著『川上音二郎と貞奴 明治の演劇はじまる』に詳しい。 1898年(明治31年)3月と8月、第5回総選挙と第6回総選挙に出馬し、ともに落選。資金繰りの為に川上座を手放す(この詳細は不明)。 妻・姪・愛犬とともに、築地からボートに乗り下田市までいく。そこからまた修繕したボートにのり、翌1899年に神戸に到着する。
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