憲法第67条問題
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「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告ク詔勅」の記事における「憲法第67条問題」の解説
「大日本帝国憲法第67条」および「第1回帝国議会」も参照 大日本帝国憲法が公布されて実際に施行されていく過程において、1つの重要な問題が生じていた。 第64条 国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ 予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝国議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス 第67条 憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ廃除シ又ハ削減スルコトヲ得ス 大日本帝国憲法においては、予算は「帝国議会の協賛(賛同)を得なければならない」(第64条)とされており、帝国議会は必要に応じてこれに修正を加える事ができた。しかし、その一方で第67条に掲げる「法律上政府ノ義務ニ属スル歳出」(以下、「義務的経費」とする)については、政府の了承を得ない限り、帝国議会は予算案の削減をする事ができないものとされた。 ところが、憲法に規定された「義務的経費」が具体的にどのような経費に相当するかについては、これを定義づけた法的規定がなかったため、政府と民党の間でその範囲をめぐって激しい対立が生じた。これが第67条問題である。政府は「富国強兵」の推進のため、議会によって予算が削減される事態を防ぐため、その範囲をできるだけ広く解釈しようと図り、逆に、民党は公約に掲げていた「民力休養」を実現させるために削減できる予算を増やしてその分を地租の削減にまわす構想(政費節減)を打ち出していたので、その範囲をできるだけ狭めようとした。なお、当時の実際の財政において大きな割合を占める公債費が第67条によって削減が不可能な義務的経費であるという点については民党側も争う余地がないとしていた。残りの経費について、何が「義務的経費」にあたるのか、1890年(明治23年)の第1回帝国議会以来、政府側と民党側の主張は激しく対立していたのである。 特に政府は、清との関係緊迫化から海軍増強を至急の課題として位置付けて、人件費とともに軍事費も義務的経費に組み込むことを主張していた。一方の民党は、海軍増強の必要性は認めつつも、海軍を含めて各省庁に無駄が多いとして、人件費を削減して政府に人員経費などの行政整理を迫り、人件費や軍事費の義務的経費化には否定的な姿勢を示していた。第1回帝国議会において政府は、予算削減に応じる代わりに人件費の義務的経費化を事実上認めさせた。なお、同議会において1891年(明治24年)2月20日に天野若円(大成会)が提出した、衆議院が第67条関連の予算削減を審議する際には事前に政府の了解を得るという決議が吏党と自由党土佐派の賛成(いわゆる「土佐派の裏切り」)によって衆議院で可決され、政府もこれを了承した。これは一見帝国議会における予算削減の権限を自主的に制約したようにもみえるが、裏を返せば予算先議権がある衆議院と政府が合意した予算削減に貴族院がさらに修正を加える余地をも奪うもので、衆議院が予算審議における貴族院に対する優越権を議会慣習のかたちで事実上確立したものとなった。軍事費問題については結局先送りされ、結果的には第2回帝国議会における樺山資紀海軍大臣の「蛮勇演説」へとつながった。
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