性的ヨーガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 08:35 UTC 版)
後期密教における性的ヨーガの扱いは、後期インド仏教、そしてチベット仏教においては大きな課題であった。特に、性的な節制を要求する初期仏教以来の戒律と衝突する点が大きな問題であった。とはいえ、インドの密教が至上の教えと信じられていた当時は、まだ無上瑜伽タントラの教えや密教の戒律である三昧耶戒の口伝は十分に理解されておらず、後期インド仏教における数々の課題を受け継いだままであり、女性パートナーを伴う性的ヨーガがしばしば行われていた。 チベット仏教の復興者であり、顕密統合志向であったヴィクラマシーラ大僧院(インドの密教大学)出身のインド僧アティーシャの考えを継承し、顕教と密教、戒律と性的ヨーガを体系化したツォンカパは、性的ヨーガの有効性を認めつつも、その実践を事実上禁止しあくまで観想でのみ行うよう求めた。彼を祖とするゲルク派は僧侶の基本である具足戒を始めとする数多くの厳しい戒律を持ち、また、出家として生涯独身を貫く清新さを保つことで多くのチベット人の支持を得たために、モンゴルへの布教も成功し、チベット仏教の最大宗派へと成長した。ニンマ派やサキャ派、カギュ派等の三大宗派もこれに倣って僧院を中心とする組織化を充実させることに成功し、現在に至る。
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