性愛描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 21:41 UTC 版)
「レダと白鳥」という題材は、男女間の性愛よりも女性と白鳥の性愛を描いた絵画のほうがまだしも好ましいとする、現在の考えからすると奇妙にも思える16世紀の風潮によって広まった。この題材で最初期に描かれた絵画の性愛描写は、当時の優れた画家たちが男女間の性愛を描いたどの絵画よりも露骨な性愛描写を伴うことがあった。性愛を扱った版画である『イ・モーディ』が発表から数年後に、ローマ教皇庁から製作者の投獄、原版の破棄を命じられたことからも分かるように、その当時は男女間の性愛を描写することは危険な行為だったのである。ルネサンス期になっても性愛描写は危険を伴うものであり、それはレダと白鳥をモチーフに描かれた、三枚の有名な絵画がたどった運命からも明らかである(後述)。 このテーマが描写された最初期の作品は、大部分がヴェネツィアで作製された版画だった。私的に所蔵されていたもので、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』の記述を元にしている作品が多い。また、ロレンツォ・デ・メディチは古代ローマ時代のサルコファガスと宝石を所蔵しており、そのどちらにも寝そべったレダのモチーフが使われている。 このモチーフを描いたルネサンス初期の作品として知られているのは、1499年に出版された『ヒュプネロトマキア・ポリフィリ』の挿絵に使われた木版画である。この木版画には、勝利の車 (Triumphal car) を牽く人々など数多くの人が周囲にいるにもかかわらず、その車の中でレダと白鳥が情熱的に愛を交わす様子が描写されている。また、版画家のジョヴァンニ・バッティスタ・パルンバが1503年ごろにレダと白鳥の性愛描写をモチーフにした版画を製作しており、これは人目のない田園での情景として描かれている。他にもジュリオ・カンパニョーラ (en:Giulio Campagnola) の作であると考えられている版画があり、この作品ではレダの様子ははっきりとは描かれていない。パルンバには、レオナルド・ダ・ヴィンチの習作の影響を受けて1512年ごろに製作したと見られる、地面に座って子供たちと遊ぶレダの版画もある。 絵画や版画だけでなく、小さな装飾品などにもこのモチーフは用いられている。ベンヴェヌート・チェッリーニは芸術家としての活動初期にメダルを製作しており、その表面にアントニオ・アボンディオ (en:Antonio Abondio) が彫刻をしてローマの公妾に奉げたものが、現在もウィーンに残っている。
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