復活〜伝説の王者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 02:29 UTC 版)
「シュガー・レイ・ロビンソン」の記事における「復活〜伝説の王者へ」の解説
1955年1月5日、ジョー・リンドンを6回KOで下し再起。33歳のロビンソン、約2年半ぶりの試合だった。1月19日、ラルフ・タイガー・ジョーンズに10回判定負け。再起2戦目にして、プロ4度目の敗北を喫した。この敗戦をきっかけに、ロビンソン限界説も一部で語られるが、ジョーンズ戦以降4連勝で世界挑戦へ前進する。 7月22日、カール・ボボ・オルソンの世界王座に挑んだ(判定負け)経験のあるロッキー・カステラーニに10回判定勝ちするが、6回にはダウンを喫するなど大苦戦。2-1でロビンソンを勝者とする判定が発表されると、サンフランシスコのカウ・パレスには歓声と抗議の声が交錯した。 12月9日、過去に2度対戦(2勝)したカール・ボボ・オルソンの保持する世界ミドル級王座に挑戦。不利の予想を覆す2回KO勝ちで、34歳にして通算3度目の王座獲得を果たした。ロビンソン引退後、ようやく世界の頂点に立ったオルソンは、再起後のロビンソンの不調もあって、有利を予想されたが、復活にかけるロビンソンの鬼気迫る猛攻の前に、ひとたまりもなく倒された。「ロビンソンと同時代でなければ、名王者として君臨したであろう」という仮定で語られる名選手は数あれど、その悲運を象徴する存在が、このオルソンと言える。 1956年5月16日、シカゴ・カブスのホームスタジアム、リグレー・フィールドでカール・ボボ・オルソンとダイレクトリマッチで4度目の対戦。4回KO勝ちで世界ミドル級王座防衛。オルソンは、またもロビンソンの軍門に下る。 1957年1月2日、ジーン・フルマーに15回0-3の判定負け、世界ミドル級王座を失った。5月1日、ジーン・フルマーとのダイレクト・リマッチに5回KO勝ち。通算4度目の世界ミドル級王座を獲得。5回に王者フルマーをキャンバスに沈めた、完璧な左フックの一撃は、ボクシング史上最も有名なKOパンチのひとつである。 9月23日、元世界ウェルター級チャンピオンのカーメン・バシリオに15回1-2の判定負け、世界ミドル級王座を失う。この一戦は、リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。ちなみにロビンソンは1年の間に2度、世界ミドル級王座から転落したことになる。これも珍しい記録ではある。 1958年3月25日、ダイレクトリマッチでカーメン・バシリオに15回2-1の判定勝ち、世界ミドル級王座奪回、実に通算5度目の王座獲得を成し遂げた。なお、この一戦は前年の初戦と同じく、リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
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