復活から消滅まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:19 UTC 版)
運動の低迷に終止符が打たれたのは1933年である。この年の全水第11回大会で生活改善・差別撤廃闘争を通じ労農提携をめざす「部落委員会」方針が決定され、また大衆的な差別糾弾運動として展開された高松地裁糾弾闘争の高まりにより、全水の運動は復活に向かった。しかし1937年の日中全面戦争の開始以降、全水もまた戦争に積極的に協力し、かつての全水青年同盟の中から総力戦構築を通じ差別の撤廃をめざす転向者(朝田善之助ら)も出現するようになった。これらの結果、全水は翼賛体制に取り込まれることを潔しとせず、戦時体制下での結社届けを出すことを拒み1942年1月20日に団体としては自然消滅を選択した。 戦後、1945年10月の志摩会談で水平社運動の再建が協議され、1946年2月には旧水平社のメンバーや融和事業団体の役員たちが京都に集まり部落解放全国委員会(部落解放同盟の前身)を結成した。
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