復活、SWCへの参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 14:00 UTC 版)
「ブリティッシュ・レーシング・モータース」の記事における「復活、SWCへの参戦」の解説
1992年、F1と同様のエンジン規定となったスポーツカー世界選手権をF1参入の好機と考え、BRMの名前が復活。完全オリジナルマシンのP351は自社製3.5リッターのV型12気筒エンジンを搭載。デザイナーはザクスピードのポール・ブラウン。 BRMは第1戦を欠場し第2戦のシルバーストーン500kmから参戦。しかし予選は通過するも、順位は最下位。このタイムは1つ前のゲプハルト・C91の1分50秒045から10秒遅れの2分00秒182であり、ポールポジションのプジョー・905からは約36秒遅れのタイムであった。また決勝ではスタート前にオイルポンプのトラブルが発生し、スタートすら出来なかった。第3戦となるル・マン24時間耐久レースでも20周程でリタイアとなっている。BRMはル・マンを最後にSWCから撤退。その後IMSA GTPのワトキンズグレン戦に参戦するが、こちらもリタイアに終わった。 後にP351をベースとしたオープンプロトタイプのP301をル・マンとISRS(インターナショナル・スポーツカー・レーシング・シリーズ)に参戦させたが、こちらも結果は残していない。
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