復活したダラス・カウボーイズ
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「第27回スーパーボウル」の記事における「復活したダラス・カウボーイズ」の解説
ダラス・カウボーイズはトム・ランドリーヘッドコーチがチームを率いた期間のうち、1966年から1985年までの20シーズン中18回プレーオフに進出しスーパーボウルに5回出場し2回優勝した。しかし1980年代終盤にはチーム成績は低迷し1988年には3勝13敗に終わった。1989年2月25日にチームを買ったジェリー・ジョーンズは1960年のチーム創設以来のヘッドコーチであったランドリーを解任、マイアミ大学のヘッドコーチ、ジミー・ジョンソンを後任に据えた。ジョーンズオーナーはGMのテックス・シュラム、副社長のギル・ブラントも解任した。1988年の3勝13敗はNFL最低の成績であったため1989年のNFLドラフト全体1位でUCLAのクォーターバック、トロイ・エイクマン(現役通算で6回プロボウルに選出された。)を獲得した。1989年のシーズン中にチームは唯一プロボウルに選ばれたハーシェル・ウォーカーをミネソタ・バイキングスにトレードし5人のベテラン選手と8つのドラフト指名権を獲得した。1989年シーズンチームは創設以来最悪の1勝15敗に終わった。補充ドラフトでスティーブ・ウォルシュを獲得したため翌年のドラフト全体1位指名権は失っていたがドラフト1巡目でエミット・スミスを獲得、1988年に入団したワイドレシーバーのマイケル・アービン、フェニックス・カージナルスからジェイ・ノバチェク(カウボーイズ在籍6年のうち5回プロボウルに選出された。)とオフェンスのタレントが揃った。ドラフトではスピードがあり俊敏で運動能力の高い選手を獲得しチームの再建を進めた。1990年は7勝9敗で終えてエミット・スミスは新人王にジョンソンヘッドコーチは最優秀コーチに選ばれた。1991年には11勝5敗で6シーズンぶりのプレーオフ出場を果たした。1992年にはリーグ2位の13勝3敗でシーズンを終えた。ディフェンスからプロボウルに選ばれた選手はいなかったがトータルディフェンスはリーグトップの成績で相手に4,278ヤードしか許さなかった(ランディフェンスもリーグトップで1,244ヤードしか許さなかった)。ディフェンスラインはジム・ジェフコート(10.5サック)、トニー・トルバート(8.5サック)、チャールズ・ヘイリー(1990年のサック王でこの年サンフランシスコ・フォーティナイナーズから加入した。)に率いられた。ラインバッカーの中心にはケン・ノートン・ジュニアがディフェンスバックのケネス・ガント、ジェームズ・ワシントンは3インターセプトをあげた。 一方オフェンスはエイクマンがパス473本中302本を成功、3,445ヤード(リーグ4位)、23タッチダウンパス、14インターセプトの成績を残した。スーパースターとなったエミット・スミスはリーグトップの1,713ヤードを走り18個のラッシングTDをあげると共に59回のパスキャッチで335ヤードを獲得、1TDレシーブをあげた。マイケル・アービンは78回のキャッチで1,396ヤード、7TDをあげ、もう1人のワイドレシーバー、アルビン・ハーパーは35回のキャッチで562ヤード、4TD、ノバチェクは68回のキャッチで630ヤード、6TDの成績を残した。オフェンスラインのネイト・ニュートン、マーク・ステプノスキーはプロボウルに選ばれた。
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