復活した司教座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 19:29 UTC 版)
復活した司教座の最初の司教は、ベルナルドであったと言われている(1035年)。彼にサンチョ3世は、複数の城とわずかな修道院のある都市と土地に、付随した封建制指導権を授けた。ベルナルドはフランスかナバラ出身であると考えられており、パレンシア守護聖人・聖アントリン(パミエのアントニヌス)の納骨堂上に大聖堂を再建するという行為に身を捧げた。聖アントリンは、パレンシアでただ一人敬慕され、9月には祭りが行われている。300年後に大聖堂が再建された。第一の宝物は聖アントリンの遺体で、かつてはアクイタニアで深く敬われ、パレンシアへもたらされた。 カスティーリャ王アルフォンソ6世は、ベルナルド司教の後継であるライムンド、アジャンのペドロらに多くの特権を贈った。ペドロはトレド大司教ベルナルド・デ・セディラクが連れてきた者だった。カスティーリャ女王ウラカの支持者であったため、彼はアラゴン王アルフォンソ1世によって投獄された。1113年、州議会が、時代の混乱を押さえたベルナルド大司教によってパレンシアで催された。1212年のナバス・デ・トロサの戦いでは司教テリョが参加し、その勝利によってパレンシアは城上部に十字架を紋章として飾る権利を勝ち取った。
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