強盗殺人の前科
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:33 UTC 版)
「福山市独居老婦人殺害事件」の記事における「強盗殺人の前科」の解説
Nはその後、さらに別の運輸会社に転職した上で、フォークリフト運転手などとして勤務し、両親を扶養していたが、1972年1月ごろからオートレース・ボートレースに興味を持ち、大当たりしたことがきっかけでこれらのギャンブルに熱中するようになり、借金を重ねた。その後、借金をしていた知人の1人から再三にわたり、強く借金の返済を迫られたため、「オートレースなどで大穴を当てて、その配当金で借金を全額返済しよう」と思い立ち、1973年(昭和48年)10月にはさらに他の知人から借金をしたほか、以前から家族ぐるみで親しく近所付き合いをしていた知人女性宅を訪ね、女性から金を借りてオートレース・ボートレースに出掛けた。 しかし、所持金をほとんど使い果たしてしまったため、借金返済に困ったNは帰宅途中で返済資金を得る方法について考えた。その結果、「前述の知人女性に刃物を突き付けて脅迫し、現金を奪った上で犯行を隠蔽するために女性を殺害しよう」と思い付き、1973年10月25日16時30分ごろに知人女性宅を訪れ、犯行機会を窺った。台所のガス台近くに包丁があることを確認したNは、その時点ではまだ犯行を躊躇していたが、同日17時ごろになって「最初の計画通り、女性を殺害して金品を奪おう」と決意。軍手を両手に嵌め、包丁を女性の胸付近に突き付け、金を出すよう執拗に脅迫して現金53,000円を差し出させると、犯跡を隠蔽しようと女性を何度も包丁で突き刺して殺害した(死因:外傷性呼吸機能障害による窒息死)。そして現金のほか、預金通帳2冊・印鑑などが入った手提げカバン・がま口財布を強奪して現場から逃走したが、被害者が死亡する前に病院で「犯人は2年前に自分が住んでいた町で近所にいた顔見知りのNだ」と証言したため、宇部警察署(山口県警察)により強盗殺人容疑で指名手配された。 事件発生直後、傷害事件として捜査を開始した宇部署が市外に緊急配備を敷かなかったこともあって、Nは逃亡に成功し、全国各地を転々として逃走生活を送っていたが、被害者が死亡したことは知らなかった。その後、Nは同年12月16日に事件のことが気になって三原市内の義兄宅を訪れたところ、同居中の両親らから自首するよう説得され、宇部署へ出頭して強盗殺人容疑で逮捕された。そして強盗殺人罪の被告人として起訴されたNは、1974年(昭和49年)4月10日に山口地方裁判所(野曽原秀尚裁判長)で求刑通り無期懲役判決を受け、広島高等裁判所へ控訴したが、同年9月26日に広島高裁で控訴棄却の判決を受け(同年10月12日付で確定)、仮釈放まで合計3つの刑務所で約14年9か月間服役した。
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