建物・文化財・史跡
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「加賀屋新田会所」の記事における「建物・文化財・史跡」の解説
当会所は商家の別宅であり、かつ文人墨客が集まるサロンの位置付けであったため、芸術性の高い建築物や庭園が建造された。2001年 (平成13年) 12月21日、大阪市から有形文化財、史跡に指定された。 茶室 鳳鳴亭 - 木造平屋建、高床式の舞台造で池に迫り出している。建築部材の墨書から1815年 (文化12年) 以前の建築と推定される。茶席、広間、水屋を備えた数寄屋風建築物で居宅、土蔵に連続。大徳寺貫主の自筆による「鳳鳴亭」の額が掲示されている。書院に向かって渡り廊下が続き、幅70から90cmの松の巾広板を使用。居宅には竈や井戸が復元されている。 旧書院・玄関 – 1754年建築。八畳の座敷、六畳の次の間、玄関で構成される。八畳・六畳各間を仕切る山水の襖絵は「雪舟4代目」を称した雲谷等益の作。また、大阪朝日新聞主筆・西村天囚が当会所を「愉園」と名付けたのに因み、1914年 (大正3年) に清朝末期の教育者・羅振玉が揮毫した額が掲げられている。なお西村は「天声人語」の名付け親でもある。玄関は東の冠木門から続き、式台はかつて代官が駕籠を横付けして出入りしたと伝承される。玄関横の天井に使用された杉の一枚板、北側の梁の長尺物の丸太、桐の透かし彫りの欄間など、各所に技法を凝らす。 庭園 – 作庭家・小堀遠州風の築山林泉回遊式庭園を敷地西側に配置。複雑な汀線を持つ心字形の池、池の北端に架かる木橋、平屋の四阿(あずまや)、待屋が構築されている。またシダレウメ、ソテツ、センダン、モミジ、イチョウ等30種類を超える植栽に彩られている。 書院内の襖絵 庭園と池 土蔵 玄関
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