建国初期 1789年-1800年
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「アメリカ合衆国の外交史」の記事における「建国初期 1789年-1800年」の解説
1789年、アメリカ合衆国議会の第1会期において外交部局が創設された。外交部局は間もなく国務省と名を変え現在に至る。また外交書記官職は国務長官となり、初代長官にフランスから戻ったジェファーソンが就任した。 1793年、フランス革命後にイギリスとフランスとの間に戦争が起こった。イギリスはアメリカの最大の貿易相手国であり、フランスは同盟国であった。アメリカ大統領のジョージ・ワシントンは中立政策を採用した。1795年、ワシントンはイギリスとの戦争回避と商業奨励を同時に図るため、財務長官アレクサンダー・ハミルトンが考案したジェイ条約を支持した。この条約によりアメリカ合衆国とイギリスは友好的な10年間に入った。しかし、ジェファーソンとその党派はこの条約に強く反対もあり、外交政策を巡る論争から国論は割れ、第一政党制の始まりに繋がった。 1796年、ワシントンは大統領からの辞任演説において、特に戦争において外国との関わりを持たないよう勧め、これがアメリカの外交政策の基本になった。 ヨーロッパは第一義の興味を持っているが、我々にはそれが無く、大変遠い関係にある。ヨーロッパは絶えず紛争に巻き込まれるに違いなく、その理由は我々にとっては基本的に外国のものである。それ故に我々が人工的な結び付きによって、ヨーロッパ諸国の政策に普通にある浮き沈み、あるいはその友好関係や敵意と結びつき、連衡に関わるようなことは賢明ではないに違いない。我々の孤立し遠くにあるという状態は異なる道を採り、追求することを可能にしている。 1797年、ジェイ条約に反発したフランスが、公然とアメリカ商船を捕獲する敵対行動を取るようになる。ジョン・アダムズ大統領は、外交での問題収拾のため、フランスに特使を派遣した。しかしフランス外務大臣タレーランは、交渉開始に際して25万ドルの賄賂と1200万ドルの借款を要求した。アメリカ特使はこれを拒絶した。一連の事態XYZ事件が、1798年に議会で報告され、フランスとの同盟破棄さらには宣戦布告なき戦争 擬似戦争(Quasi-War)へと繋がった。疑似戦争に伴い、アメリカ議会は海軍編成案を承認し、アダムスは外国人・治安諸法に署名した。1800年、ナポレオン・ボナパルト政府からの懐柔姿勢もあり、両国は協定を結び疑似戦争は終結した。
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