庵室の玉手御前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 09:06 UTC 版)
玉手登場のきっかけとなる「しんしんたる夜の道」の浄瑠璃の前に、母親が門口の高灯篭に灯を入れる件りがある。故人の魂を迎え入れるための侘しい灯りを頼りに、玉手が門口にやってくるのも暗示的で、優れた演出である。「気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御事を」で玉手が花道から静かに登場し、「訓れし故郷の」で揚幕を振り返って長い道のりを表現する。なお六代目菊五郎は舞台を半廻しにして玉手の存在を強調する演出をとり、現在の菊五郎に伝わっている。 玉手の出は黒(または茄子紺)の地に裾模様の着付、勝山風の丸髷で御高祖頭巾または右袖をちぎって作った袖頭巾で顔を隠すことで、曰くのある人物像を作っている。ただし浄瑠璃の本文には「人目を包む頬被り」とある。五代目歌右衛門は「不用意に館を抜出た女であり、人に顔を見られるのを厭がって、急場の事で仕方なく片袖をちぎって顔を包む……という自然の行き方に解釈したのです」として片袖にしており、息子の六代目歌右衛門にもこの片袖は受け継がれているが、これは古くは庵室の場の前に、玉手が悪人から逃れるだんまりの場があったからではないかともいわれている。ちぎった側の袖が赤いのは、これは襦袢ではなく上着の裏地を残して見せたものであり、前述の高灯籠の灯に相対し魂火を象徴する演出である。六代目菊五郎は三代目梅玉と同じく御高祖頭巾を用い、片袖は母親に奥へと引き込まれる際に取れる段取りにしていた。 庵室の山場は、「玉手はすっくと立ち上がり」以後、嫉妬に狂う玉手の件りである。右肌を脱いで白無垢の襦袢を見せ、浅香姫をはねのけ髪を捌き、入平を表へ追い出し戸を閉て切って「怒れる目元は薄紅梅」という浄瑠璃の文句で見得を切り、さらにそのあと左手で俊徳丸の手をとり右手で懐剣を構えて姫を睨み、姫は海老反りで決まる。以上のような「嫉妬の乱行」と呼ばれる玉手の演技は周囲を圧倒させる芸力が求められ、女形ながらも力の入る場面である。なお文楽では玉手が姫を引きずりまわし、平手打ちを連発するという凄まじさである。この破壊的な件りがあって合邦が玉手を刺したのち、玉手の上着の赤い裏地が傷口を表し、白の襦袢が血糊を強調する視覚的な効果をあげるとともに、悲痛なもどりとなる劇的効果が生まれるのである。 「もどり」になってからの玉手が本心を明かす台詞は極めて長く(舞台では原作をかなりカットしているが)、台詞術に長じていないとだれてしまう恐れがある。この点では六代目歌右衛門でも難しかったとされている。またこの時は床のメリヤスに篠笛を吹かせる抒情的な伴奏が効果的である。なお原作では仔細を打ち明けたあと、玉手が俊徳丸に夫通俊へ自身の潔白と次郎丸の命を助けるよう伝えるのを頼み、さらに以前腰元であった自分の身を省みて、主君のために命を捨てるのは武家では身の誉れであるという悲痛な台詞を言うが、現行の文楽と歌舞伎ではカットされている。父の涙ながらの念仏のうちに鳩尾を切り裂く件りでは、浄瑠璃が悲しみを湛えた調べを奏でて効果をあげている。
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