あふれる色気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 14:19 UTC 版)
「實川延若 (2代目)」の記事における「あふれる色気」の解説
類い稀な演技力もさることながら、立派な押し出しと色気の有る目元が、得も言われぬエロチシズムを生み出し、「油壷からでたような」という評が与えられた。その色気の力は『双蝶々曲輪日記・引窓』の濡髪をつとめたとき、あまりの凄さに与兵衛で舞台を共にした初代中村鴈治郎が嫉妬したほどだった。その色気の有る芸については、延二郎時代、初めて東京の舞台に立ったときに「上味醂で煮上げたような」と評されている。また、六代目中村歌右衛門が若い頃、大阪中座で『忠臣蔵』の顔世御前で共演したとき、「…後ろから顔世の肩を抱いて、いかがでござる(略)と耳許にささやきながら肩を揺する。だんだん力がこもってきて、ギューッと抱きすくめられると、何だかクラクラしてきて、ゾクゾクと気が遠くなりそうで、思わず目をつむってしまったものですよ。まことに立派で色っぽかった」と述懐している。彼を贔屓にした国文学者の折口信夫は「…まことにとろけるような、無言の口ぜつ、怨嗟の流れ、それほど美しく歌舞妓の世界に取り上げられ、弄ばれ、洗い上げられ、身につまされる力を持ってきたながし目の響きである。この目の芸を、この後誰が伝えてくれるだろうか」と書いている。 十三代目仁左衛門は、同世代の十五代目市村羽左衛門と比較して、颯爽とした江戸前の芸風と脂っこい上方和事の色気の違いこそあれ、何か共通する色気を持っていたと証言している。(『仁左衛門楽我記』より)同じく、二代目鴈治郎は、友人の演劇評論家山田庄一に「合邦庵室」の玉手御前で最高だったのは誰かとの問われ「そら、河内屋だす。色気があってええ玉手だした。」と答え、女形でも十分な芸の力があったことを評価した。
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