広義の脱植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:01 UTC 版)
脱植民地化の概念範囲を広げると、一国の独立国内でも「内地脱植民地化」が起こりうる。例えば拡大期のアメリカ合衆国は、既存の州の国境沿いの土地を占領すると、準州(テリトリー)を設立して植民地化し、その地の発展が一定の成功を収めると、州への格上げと連邦加盟を請願させ、別個の国として独立させるのではなく、連邦内の議員選出権を持つ「主権保有」メンバーとして取り込むという方式をとった。 法的には国内の土地を一切「植民地化」していない国でも、実際の不平等が支配権を掌握する地域を生み出し、少なくとも被支配者側からは実質的な宗主国として認識される場合がある。このような地域は、例えば帝政ロシアおよびソビエト連邦におけるロシアのように最大の領地を持ち最も人口の多い地域や、あるいはハプスブルク朝期にシレジアからオスマン国境線にかけてのスラブ系「少数民族」の地を支配していたオーストリアのように征服者としての歴史を持つ地域である。その結果、これらの国家の解体は、こういった地域にとって事実上の脱植民地化と捉えられている。 なお、事態をさらに複雑にすることであるが、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)はソ連へ加入したのではなく、ヨシフ・スターリンによって軍事力を持って併合され、不法に植民地化されたのであるから、ソ連解体によって独立が承認されたということは成立しないと主張している。この地域では多くの在来民族が強制移住させられ、ロシア人やソ連内の他国から多くの移住者が入植したが(1990年段階にはバルト三国の人口に占める在来民族の割合はようやく50%に達する程度であった)、他の正式に連邦に加入していた各ソビエト共和国においても、ロシア人は植民地支配者として強く認識されることが多く、これらロシア系移民はいずれの国においても連邦解体後は激しく社会的反発を受け、多くはロシア本国に帰還する傾向にある。
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