帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」とは? わかりやすく解説

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帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 00:38 UTC 版)

親任官」の記事における「帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」」の解説

帝国陸軍では、親補職にあった中将が、親補職でない職に就く際に、「格下げとしないため、親補職たる軍事参議官本職親補職でない職を兼勤させる例があった。最後陸軍省人事局であった額田坦中将は「これは軍事参議官制度悪用というべきであろう」と評している。 具体例鈴木孝雄 陸士2期1924年大正13年2月第14師団長に親補される。同年8月陸軍技術本部長(非親補職)に転じる1926年大正15年7月軍事参議官親補され、引き続き陸軍技術本部長を兼勤1927年昭和2年7月大将親任される。1928年昭和3年3月8日陸軍技術本部長の兼勤免じられ、軍事参議官専任となる。1933年昭和8年3月予備役。(軍事参議官本官であった期間:6年8か月土肥原賢二 陸士16期。1937年昭和12年3月第14師団長に親補される。1938年昭和13年6月参謀本部付。1939年昭和14年5月第5軍司令官親補される。1940年昭和15年6月参謀本部付、同年9月軍事参議官親補され、同年10月陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤1941年昭和16年4月大将親任される。同年6月軍事参議官陸軍士官学校長から、航空総監親補される。(軍事参議官本官であった期間:9か月篠塚義男 陸士17期。1938年昭和13年6月第10師団長に親補される。1939年昭和14年9月第1軍司令官親補される。1941年昭和16年7月軍事参議官親補され、陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤1942年昭和17年7月依願予備役。(軍事参議官本官であった期間:1年

※この「帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」」の解説は、「親任官」の解説の一部です。
「帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」」を含む「親任官」の記事については、「親任官」の概要を参照ください。

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