帝国陸軍以前の歴史
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「キャンプ・ドレイク」の記事における「帝国陸軍以前の歴史」の解説
東京ゴルフ倶楽部(東京ゴルフ株式会社1914年(大正3年)創業)は、東京駒沢にて「駒沢ゴルフ場」として営業していたが、手狭になったために近郊で候補地を探していた。現在の朝霞市(当時の膝折村(ひざおりむら))に土地を見つけて移転する。また早い段階から移設準備を始めており、1930年(昭和5年)5月には民有地19万2,200坪を買収して登記を完了していた。このゴルフ場はチャールズ・ヒュー・アリソンによって設計された。場内にはクラブハウスが設けられ、室内にはサロン室、婦人室などを完備し傍には25mプールもあるなど、当時としては豪華な施設であった。また、設計にあたり京都への庭園見学を実施し、これを反映させたとも言われている。 一部に未完成地域が残っていたが、1932年(昭和7年)5月1日に「東京ゴルフ倶楽部」膝折ゴルフ場として開場し、朝香宮鳩彦王による始球式が行なわれている。1934年(昭和9年)11月6日には日米野球で来日していたベーブ・ルース、フランク・オドールと外交官であるジョセフ・グルーが来場している。このゴルフ場で日本オープンが開催された実績などもある。その後、陸軍により買収され閉園する。1941年(昭和16年)3月15日にはお別れ競技会が開かれている。ゴルフ場は狭山に転居し「秩父カントリークラブ」と合併。現在は埼玉県狭山市において「東京ゴルフ倶楽部」となっている。1941年(昭和16年)10月に市ヶ谷より陸軍予科士官学校が移転する。 現在の朝霞駐屯地構内の池「びわ湖」は三番ショートホールの名残りである。
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