帝国陸軍連隊と陸自連隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 10:46 UTC 版)
「日本の連隊」の記事における「帝国陸軍連隊と陸自連隊」の解説
第二次世界大戦敗戦により帝国陸軍が完全に解体されたため、旧陸軍の連隊の「伝統」は名目上完全には陸自に引き継がれなかった。しかし一部ではかつて衛戍地としてそばにあった旧陸軍連隊と同じ隊号(連隊番号)で連隊が置かれた所がある。例として、東京都にあった麻布歩兵第1連隊と練馬駐屯地の第1普通科連隊、青森県にあった青森歩兵第5連隊と青森駐屯地の第5普通科連隊、三重にあった津歩兵第33連隊と久居駐屯地の第33普通科連隊、静岡県にあった静岡歩兵第34連隊と板妻駐屯地(御殿場市)の第34普通科連隊、および大阪府にあった大阪歩兵第37連隊と信太山駐屯地の第37普通科連隊がある。 特に北海道北恵庭駐屯地に駐屯する第11旅団隷下の第11戦車大隊(現第11戦車隊)においては、占守島の戦いにて多大な出血を受けながらも奮戦し、結果ソ連軍を撃退し北海道を護りきった旧陸軍戦車第11連隊のその威武に敬意を表し、配備する90式戦車の砲塔側面に士魂のマーク(戦車第11連隊は隊号の漢数字「十一」を武士の「士」と掛け自らを「士魂部隊」と名乗っており、また部隊マークとして「士」を配備の九七式中戦車や九四式六輪自動貨車に描いていた)を施し、「士魂部隊」の名を現在に至るまで受け継いでいる。ほかにも第1師団隷下第34普通科連隊は、隊号を受け継ぐだけでなく歩兵第34連隊第1大隊長として日露戦争を戦い遼陽会戦で戦死し軍神と呼ばれるようになった橘周太陸軍中佐に敬意を表し、同駐屯地・連隊敷地内に橘中佐の銅像(橘像)が再建され、また戦前からの同歩兵連隊の通称であった「橘連隊」の名を受け継いでおり、また第3師団隷下第37普通科連隊は、歩兵第34連隊の隊号とともに同歩兵連隊が事実上の部隊マークとして使用していた「菊水紋」を受け継いでいる。また第33普通科連隊は、久居駐屯地自体が歩兵第33連隊の駐屯していた敷地にあり、同一の連隊番号と敷地を継承している、全国的にも珍しい部隊である。このように陸上自衛隊内部では、現在にいたるまで公式に帝国陸軍における伝統を受け継ぐ姿勢が多々見受けられる。
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