川越電灯 / 川越電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:38 UTC 版)
「西武大宮線」の記事における「川越電灯 / 川越電気鉄道」の解説
これに続いて、綾部ら川越馬車鉄道の設立にかかわった川越商人たちは電気供給事業へ進出を目論み、資本金125,000円で川越電灯の設立を計画した。ただし、川越電灯の仮定款附則第58条の項目に「本社ハ川越馬車鉄道株式会社総会ニ於テ合併ノ決議ニ基キ、成立ノ上同会社ト合併シ川越大宮間ヲ電気鉄道株式会社ニ動力変更改設スル事」としていたように、設立当初から川越馬車鉄道との合併が予定されていた。実際に川越電灯は、明治36年(1903年)9月8日に設立されたあと、1903年9月26日に開催された川越馬車鉄道の臨時株主総会での合併決議を受け、同年10月21日に川越馬車鉄道と合併した。このように、別会社の設立による資金調達という方法で、綾部らは未開業の馬車鉄道の電化と電灯供給事業への進出を果たした。川越馬車鉄道の資本金は25万円となり、1903年(明治36年)12月には社名を川越電気鉄道と改称、翌1904年3月に電気鉄道の許可を得た。 こうして成立した川越電気鉄道は、1904年(明治37年)に、入間郡川越町堅久保に常磐炭田の石炭を燃料とする埼玉県下初の100kW出力の発電機2基による川越火力発電所(出力260kW)を建設。直流200ボルト送電を開始し、翌年1月から川越町内431戸での電灯供給を開始した。同社は埼玉県下で初めて電灯を灯した電気事業者でもある。 一方、川越 - 大宮間の電気鉄道は、1904年3月に営業許可を受け、1906年4月に開業した。埼玉県で最初に走った電車である。これに伴い、1906年(明治39年)10月に大宮電灯を合併し、北足立郡大宮町および周辺へと配電地域を拡げた。 敷設工事は経費節減のため、当時発足したばかりだった赤羽工兵隊の鉄道大隊が演習をかねて行った。この際に野戦鉄道程度の整備水準で敷設したため、軌道の地固めが極めて不十分だった。このため電車の動揺が激しく脱線事故が頻発し、1931年(昭和6年)にはついに脱線による死亡事故が発生する事態にもなった。しかしながら資金不足により軌道整備もままならなかったという。
※この「川越電灯 / 川越電気鉄道」の解説は、「西武大宮線」の解説の一部です。
「川越電灯 / 川越電気鉄道」を含む「西武大宮線」の記事については、「西武大宮線」の概要を参照ください。
- 川越電灯 / 川越電気鉄道のページへのリンク