島津斉興と「直看秘法」とは? わかりやすく解説

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島津斉興と「直看秘法」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:29 UTC 版)

島津斉興」の記事における「島津斉興と「直看秘法」」の解説

鹿児島県歴史資料センター黎明館には「玉里島津家資料」の1つとして『直看経作法伝書』と呼ばれる黒漆塗りの函に納められ文書群存在する金泥施された函の表題および裏記され目録文字は斉興本人直筆であり、蒔絵施され目録には文政11年2月25日日付と斉興自身花押があることから、斉興自身によって作成保管され文書群であったことが分かる。 斉興は元々島津家に関して独自の歴史観持っていたことは文政5年1822年)に自らの草稿元に木場貞良に整理作成した系譜略』(東京大学史料編纂所所蔵)で知られていた。同書下巻諸言によれば瓊瓊杵尊から三種の神器とともに代々伝えられてきた歴代天皇秘法存在していたが、清和天皇我が子経基王臣籍降下する際にこの秘法授けて経基が「虎ノ巻」と呼び、「虎巻秘法」の名で代々嫡流伝えられたとする。経基の子孫にあたる源頼朝が「虎巻秘法」を島津忠久島津家には忠久を頼朝落胤とする伝承がある)に授け島津家歴代当主によって守られてきたが、島津光久時代江戸幕府そのこと追及されたため「虎巻秘法」は失われた偽って秘かに「直看秘法」と改め歴代当主のみが知る「最甚深秘事」としたと記す。すなわち、斉興は「瓊瓊杵尊以来歴代天皇秘法清和源氏嫡流である島津家当主によって今日まで継承されている」という主張していたことになる。「直看秘法虎巻秘法)」の実際由来など不明な部分もあるが、少なくても斉興はこれを史実として信じてその実践が島津家歴代当主勤め信じていた。 『直看経作法伝書』は斉興が存在主張する「直看秘法虎巻秘法)」に関する集大成であり、その中にある『虎巻根本諸作法最口伝規則』という斉興自筆文書には文政10年1827年)に硫黄島八咫鏡発見され、斉興がこれを入手した時の感慨記されている。斉興は京都御所当時)にある八咫鏡本物ではなく本物安徳天皇によって硫黄島持ち出され、「直看秘法」の実践者である自分が得ることになった確信し上山城現在の城山)に宮を造営し安置したという。安徳天皇末裔名乗っていた硫黄島長浜家(いわゆる長浜天皇」)には島津家によって中身持ち出されたとする開かずの箱」事件伝えられており、この2つ出来事対応しているとみられている。 なお、斉興が入手して本物であると主張した八咫鏡とそれを収めた宮の所在は現在では不明となっている。

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